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目次
- 二人三脚ヒーリング・メルマガバックナンバー
- 波動とかエネルギーとか抽象的な概念を少しだけ身近に感じる考え方
- 目には見えないけれど、人の本質がにじみ出ている「雰囲気」という情報について
- 雰囲気=私はこういう人間ですという宣言
- 雰囲気は無意識に作用する
- 目のまえの現象や人間関係は自分が作ったものかもしれない
- 自由と希望の話をしましょう
- 勇気の話をしましょう
- 雰囲気の正体
- 気持ちの正体
- 理由はわからないけれど、どうやら自分が放ったエネルギーが形を変えてさまざまな現象として表れているっぽい
- キモチイヤシ(気持ち癒し)
- 問題なのは弱いことではなく、あまりにも強すぎることにある
- 気持ち=雰囲気のエネルギーの強烈さについて・人間関係編
- 気持ちのエネルギーの強烈さについて・病気編
- 目からウロコが落ちるかもしれない超重要な考え方
- ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由
- 目に見えない世界のほうが重要で、目に見える世界はその結果に過ぎないと僕が考える根拠
- ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワーク
- ネガティブな気持ちをありのまま受け入れられるようになると、自己肯定感が高くなる理由
- 実体験をもとに解説する「他人に対するイライラを減らして、やさしく寛容な自分に生まれ変わる方法」
- 自分に合ったポジティブさを貫くことが、本物のポジティブな生き方
- ほとんどの日本人は「おだやか系ポジティブ」を目指したほうがラクに生きられる可能性が高い理由
- 「制御系と浄化系」ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくするワークには二つの系統があります
- 心や身体の重さと、ネガティブな気持ちのエネルギーの関係
- 「解放系と浄化系と書き換え系」ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークには三つの系統があります
- ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方を知って、自分の性質にピッタリ合った「自分専用の幸せ」に近づきましょう
- ポジティブな反応の例、ネガティブな反応の例
- ハートの感覚を観察する習慣が引き寄せてくれる(かもしれない)メリットあれこれ
- 幸せはどこにあるのか?自分にピッタリ合った自分専用の幸せの探し方について
- ユニークさと自由と幸せの関係
- 願いや目的を実現しやすくするための「感じる」と「考える」の使い分け方
- 今後のメルマガについて
- まとまりのない感覚的な文章を書く回
- すべてバランス次第
- 心配事を現実化させないコツ
- キャンプのこと、好きという感覚のこと
- 心が動作不良を起こす可能性は誰にでもあります
- イルカ
- 札幌へ
- エネルギーを感じる=雰囲気を感じる
- 自分が好きなものごとの背景にあるものを感じる
- 神社で撮影した不思議な動画「ここやばいから来てみて!」
- 恐ろしいほど精妙でシーン・・と澄み切った、おごそかですがすがしい波動が満ちていた三峯神社
- お好きにどうぞ
- 自分にはやりたいことがないんです・・それが気になるなら、やりたくないことを減らすといい
- 損得勘定を超えた表現
- 何かに興味を持ち、それに影響されると、そのエネルギーに近づいていく
- 無料で心身を浄化する方法
- これ「で」いいと、これ「が」いい
- 感謝や愛情が人の気を循環させる!?
- 初恋と運命について
- 現実的に〇〇という言葉に対する違和感について
- あい
- 自然体と自然界のエネルギーについて
- なんか嫌だな・・という勘について
- 自分・私が減ると、他の誰かや何かを迎え入れる余地が心に生まれる?
- これからの二人三脚ヒーリングについて
- 社会と仮面と自然体の自分
二人三脚ヒーリング・メルマガバックナンバー
波動とかエネルギーとか抽象的な概念を少しだけ身近に感じる考え方
スピリチュアルの世界でよく使われる表現に、すべての物質、生命、現象には固有の波動(周波数)があるというものがあります。
例えば、僕たち人間も、常に波動を発していて、その発している波動と類似した現象を引き寄せていると考えるのが、いわゆる引き寄せの法則と呼ばれるものの大まかな理屈となります。(昔から類は友を呼ぶとか、良いことをすると良いことが起き、悪いことをすると悪いことが起きるみたいな考え方がありますよね)
波動をエネルギーと言い換えてもいいと思いますが、どちらにせよ抽象的でかなりわかりにくいことは間違いありません・・
そこで、自分が発したエネルギーと類似した性質の現象が起きる(返ってくる)という考え方をもっと直感的に捉えるために提案したいのが、波動やエネルギーを「雰囲気」という表現に変えてみることです。
波動=雰囲気ということではありませんが、イメージとしては、人間の目に見える「可視光線」のようなものだと考えてください。
何が言いたいのかというと、本来目のまえの空間にはさまざまな波長の光が飛び交っているわけですが、僕たちの肉眼では、紫外線や赤外線は見えませんよね。
でもたしかに存在しているわけです。
それと同じような感じで、人はそれぞれ、さまざまな波長のエネルギーを発しているけれど、それをすべて捉えているわけではなく、その中の一部のエネルギーを雰囲気という形で感じていると捉えてみるということです。
すると、発している雰囲気を注意深く観察すれば、その人が発している波動・エネルギーの性質もだいたいわかるということになります。
それはつまり、発している波動と類似した現象を引き寄せるという法則が本当にあるとすれば(僕は長年目に見えない世界を探究して実験してきたので、個人的には十中八九、本当に存在する力学だと考えています)、発している雰囲気を観察することによって、その人の人生の質や傾向もある程度わかる可能性があるということです。
これは別に特殊なことではなくて、ある程度、人の雰囲気を感じることができる人であれば、大まかにはわかることなのではないかと思います。
続きはまた次回書きますが、それまでに、せっかくなので、周囲の人が放っている雰囲気を感じてみる遊びを試してみると面白いかもしれません。
人によって全然違うエネルギーが出ているので、結構面白いですよ。
目には見えないけれど、人の本質がにじみ出ている「雰囲気」という情報について
前回のメルマガで、人が発している雰囲気を注意深く観察すれば、その人が発している波動・エネルギーの性質もわかり、そのことによって、その人の人生の質や傾向もある程度わかる可能性があるということを書きました。
雰囲気は目に見えないものですが、実際に存在している情報(エネルギー)です。
初対面で相手のことを何も知らないのに、「なんだか嫌な感じがする」とか「なんとなく気が合う感じがする」と感じたことがある方は多いと思います。
他にも、視線を感じるという現象や、人の機嫌の良し悪しをありありと感じるというケースも珍しくないかと思いますが、そういう現象も、相手の雰囲気から情報を読み取っている可能性が高いのではないかと考えています。
雰囲気がその人の人間性の全体像を表していると考えるのは極端ですが、少なくとも、雰囲気が「現在の心身の状況」を表す情報として有用なデータであることは間違いないと思います。
実際問題、最近良いことが続いていたり、とても体調が良いと感じている人の雰囲気は、例えば、明るい、軽やか、爽やか、やわらかい、飄々(ひょうひょう)としているといった言葉や印象がピッタリの状態になる傾向があります。
一方で、人生に絶望していたり、~すべき、~しなくてはならないという思い込みが多すぎたり、病気で苦しんでいる人の雰囲気は、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲといった感じの印象になることが多いようです。
可能であれば、周囲にいるいろいろな人たちの雰囲気を観察してもらいのですが、「醸し出している雰囲気の印象と、人生の質には明らかな相関関係がある」ことがわかるのではないかと思います。
年中ネガティブな雰囲気をまとっている人の人生は、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲした人間関係や現象に溢れている可能性が高いはずですし、年中ポジティブな雰囲気をまとっている人の人生は、明るい、軽やか、爽やか、やわらかい人間関係や現象に溢れている可能性が高いはずです。
とりあえず今回は、雰囲気と人生の質には明らかな相関関係があるということを理解していただければと思います。
雰囲気=私はこういう人間ですという宣言
前回のメルマガで、雰囲気と人生の質には明らかな相関関係があるということを書きました。
例えば、年中ネガティブな雰囲気をまとっている人の人生は、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲした人間関係や現象に溢れている可能性が高く、年中ポジティブな雰囲気をまとっている人の人生は、明るい、軽やか、爽やか、やわらかい人間関係や現象に溢れている可能性が高いという感じです。
どんなことにも例外はあるので、全ての人に当てはまるかはわかりませんが、けっこう高い確率で、その人がまとっている雰囲気と同質の人生を生きている人が多いように感じるのですが、あなたはどう思いますか?
とりあえず、雰囲気と人生の質には相関関係があるという仮説を前提に続けていきますが、両者に相関関係があるということはつまり、「人生の質が変わればまとう雰囲気も変わり、まとう雰囲気が変わると人生も変わる」ということです。
前者の変化についてはわかりやすいと思います。
例えば、人生に良いことや悪いことが起き、まとう雰囲気も良くなったり悪くなったりする・・といった感じです。
では、後者の変化についてはどうでしょう。
これはつまり、先にまとう雰囲気が良くなったり悪くなったりすることで、結果的に人生に良いことや悪いことが起きるという感じです。
おそらく、こっちの変化のプロセスについては、なかなかイメージが湧かない人も多いのではないでしょうか。
目のまえの現実は何も変わっていない状態なのに、先に雰囲気のほうを変えて、そのことで結果的に人生が変わるってどういうこと?という感じかもしれません。
でも、前々回のメルマガに書いたように、雰囲気は抽象的で目に見えないものですが、数値化したりできないだけで、それはその人が発しているエネルギー・情報の一種なわけです。
ですから、雰囲気を発しているという時点で、意識しているかどうかに関わらずそれは、この世界に対して、「私はこういう人間ですよ。こう思ってますよ。こう感じてますよ。」というような強烈なエネルギーによる「宣言を発している」ようなものなんです。
その結果、自分の発した宣言と似たような性質の現象を引き寄せるのではないかと。
これがいわゆる「類は友を呼ぶ」とか「引き寄せの法則」という現象なのだろうと思います。
雰囲気は無意識に作用する
前回のメルマガでこんなことを書きました。
~ここから~
雰囲気は抽象的で目に見えないものですが、数値化したりできないだけで、それはその人が発しているエネルギー・情報の一種なわけです。
ですから、雰囲気を発しているという時点で、意識しているかどうかに関わらずそれは、この世界に対して、「私はこういう人間ですよ。こう思ってますよ。こう感じてますよ。」というような強烈なエネルギーによる「宣言を発している」ようなものなんです。
~ここまで~
宣言とはいっても、もちろん言葉で宣言するようなわかりやすいものではありません。
どうせわからないなら、別にどんな雰囲気を出していても実害は無いんじゃないかと思うかもしれませんが、厄介なことに、雰囲気の情報は「わからなくても機能してしまう」ものなのです・・
つまり、意識することはできなくても「無意識レベル」では、誰でも感知しているということです。
もちろん、意識できる人もいます。
例えば、エンパスとかHSP(ハイリーセンシティブパーソン)と呼ばれるようなタイプの人や、僕らのようなエネルギーを知覚する訓練を積んでいる人間の中には、雰囲気の情報を読み込んで「なんか嫌だな」とか「なんかいい感じだな」という感じで、わりとはっきりと意識することができる人は少なくありません。
では、エネルギー的な感受性がそこまで強くない人の場合はどうかというと、そういったなんとなく嫌とか良いという感覚が意識に上がるわけではないのですが、実際にはちゃんと、嫌な雰囲気の人を避けていたり、良い雰囲気の人と仲良くなろうするような行動を取っていることが多いわけです。
つまり、雰囲気という情報を無意識に受け取り、無意識に避けたり、受け入れたりしているということです。
これは別に特別なことではありません。
実際、人間の行動のほとんどは「無意識に行われている」と言われてますからね。
あなたにも、理屈はよくわからないけれど、なぜか惹かれる事やモノがあるはずですが、そういう「よくわからない現象」の多くは、エネルギー的なレベルの影響を受けている可能性が高いのではないかと僕は考えています。
そして、運が良いとか悪いとか、仕事や人間関係でなぜかいつも同じようなパターンで苦労するとか、そういう「よくわからない現象」のほとんどは、おそらく自分がまとっている目に見えない雰囲気というエネルギーと関連がある可能性はかなり高いのではないかと思っています。
目のまえの現象や人間関係は自分が作ったものかもしれない
一連のメルマガで繰り返し書いてきたことですが、雰囲気と人生の質には明らかに相関関係があると僕は考えています。
例えば、年中ネガティブな雰囲気をまとっている人の人生は、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲした人間関係や現象に溢れている可能性が高く、年中ポジティブな雰囲気をまとっている人の人生は、明るい、軽やか、爽やか、やわらかい人間関係や現象に溢れている可能性が高いという感じです。
本人が意識しているかどうかに関わらず雰囲気というものは、この世界に対する「私はこういう人間ですよ。こう思ってますよ。こう感じてますよ。」という目に見えない宣言のようなものですから、その宣言に対して周囲の人は「無意識」に反応して行動します。
例えば、年中イライラした雰囲気をまとっている人がいたとして、それは「私は怒っています」と、世界に(エネルギー的に)宣言しているのと同じです。
その怒りのエネルギーは無差別に周囲の人を攻撃しますから、周りはみんな、その発信源となっている人に対してストレスを感じます。
その結果、周囲の人たちから怒りのエネルギーで反撃されたり、この人怖いから、面倒くさいから関わらないようにしようと、避けるような行動を取られたりすることが多くなってしまいます・・
また、「類は友を呼ぶ」という言葉のとおり、似たような怒りの雰囲気をまとった人を引き寄せてしまうことも少なくありません。
つまり、特定の性質の雰囲気(波動・エネルギー)は、それと似た性質を持った現象や人を引き寄せる可能性が高いわけですね。
この世界では、このように、同質のもの同士が共鳴しあう現象が存在しています。
ご興味がある方は、共鳴現象の実験についてのこの動画をご覧ください。
この動画の実験は単純な物理現象なので、この実験によって「類は友を呼ぶ」とか「引き寄せ」のようなよくわからない現象の存在を証明しているとは言いません。
人間の人生にはもっと複雑な要素が沢山関わってますしね。
ただ、こればっかりは証明しようがないのですが、毎日毎日、目に見えないエネルギーの世界を探究し続けてきた僕の肌感覚では、こういった共鳴現象は本当に存在していると考えています。
つまり、僕ら人間は、良くも悪くも、自分が無意識に放っている雰囲気(波動・エネルギー)によって、目のまえの現象や人間関係を自ら作っているのではないかと思うのです。
自由と希望の話をしましょう
僕ら人間は、良くも悪くも、自分が無意識に放っている雰囲気(波動・エネルギー)によって、目のまえの現象や人間関係を自ら作っているのではないかと思うのです。
前回のメルマガでこんなこと↑を書きました。
この考え方は、現在、苦しい状況にある方にとっては、なかなか受け入れづらいものかもしれません。
場合によっては、責められているような感覚を持ってしまう方もいるかもしれません。
もしも嫌な気持ちにさせてしまったとしたらごめんなさい<(_ _)>
でも僕は、誰かを責めたいわけでも、この考え方が絶対的に正しい!と強制するつもりもありません。(これからお伝えする考え方が合わないと思う方は、無理に合わせないで大丈夫です!)
あえて、赤面するほどの青臭い表現をするならば、僕は「希望と自由と勇気に関する話」をしたいのです(笑)
まず希望と自由についてですが、人生にネガティブなことが起こってしまう原因が、自分が無意識に放っている雰囲気(波動・エネルギー)だと仮定すれば、そのエネルギーの性質を意識的に変える努力をすれば、自分の力で人生をより良い状況に変えることができるということになります。
一方で、ネガティブな出来事の原因は、周囲の人たちや社会のせい・・ということにしてしまうと、他人や社会が変わってくれない限り、自分の人生も不幸なままということになってしまいます。
ご存知のとおり、それは事実上ほぼ不可能なので、「まったく希望がなく不自由な状態」といえます・・
でも、どんな状況であれ、自分の雰囲気(波動・エネルギー)を変えて、それを維持し続けることができれば、人生がどんどん良くなっていくとすれば、これは他人や社会が変わらなくても、「自分の力だけで」人生を好転させることができることになります。
これは希望でしかないと僕は思います。
なぜなら、他人や社会を変えることはできなくても、自分を変えるか変えないかは「自分の自由」だからです。
自分の力で、自分の意思で、自分の人生をポジティブにもネガティブにも作り変えることができると考えることは、大きな責任を伴うことでもあるので、最初はちょっと苦しいかもしれませんが、本当はこれほど自由な生き方、考え方は無いのではないかと思うのです。
一方で、自分で自分の人生を変えることはできない。周囲の人や社会が変わらないと自分の人生は変わらないという考えは、人生のハンドルを他人や社会に任せてしまっている状態であり、おそらくそれは、希望と自由を失う最大の原因と言えるのではないでしょうか。
現時点では、この考え方に対してプレッシャーや抵抗を感じる方もいるかもしれませんが大丈夫です。
現在がどんな状況であれ、その状況を少しずつ良くしていく方法を(その方法を採用して行動するかどうかはあなたの自由ですが)今後のメルマガで解説していきますので、「自分の力で人生をより良くしていくことは決して難しいことではない」ということをちょっとずつ理解していってもらえればと思います。
だいぶ長くなってしまったので「勇気」についての話は、また次回書きますね。
勇気の話をしましょう
前回のメルマガで「自由と希望の話」を書きましたが、今回は「勇気の話」です。
人生にネガティブなことが起こってしまう原因が、自分が無意識に放っている雰囲気(波動・エネルギー)だと仮定すると、現在がどんな苦しい状況であれ、自分の雰囲気を変えて、それを維持し続けることができれば、人生をどんどん良くしていくことができるはずです。
つまり、周囲の家族や職場の同僚、社会制度などを無理矢理変えようとしなくても、本当は「自分一人」が変わりさえすれば、まるでオセロのこまが次々とひっくり返っていくように人生を好転させることができるということです。
僕は、自分自身の実体験とクライアントさんの観察を通じて、自分が無意識に放っている雰囲気(波動・エネルギー)を変えれば人生がより良くなっていくという仮説を信じていますし、今のところこれ以上に効果的な方法を知らないくらい重要なことだと思っているので、是非おすすめしたいところなのですが、一つクリアしなくちゃならない壁がありまして・・
その壁とは、この方法を使って人生に変化を起こすためには、その前提として、現在、自分の人生に起こっているネガティブな現象や人間関係は「もしかすると自分が作ってしまったものなのかもしれない」という可能性を引き受ける必要があるということです。
人によっては、これはかなり勇気がいることだと思うのです。
特に、現在の人生が苦しければ苦しい人ほど、受け入れることが難しいはずです。
人生がうまくいかないのは、育ての親のせい、協力的ではない家族や同僚のせい、社会のせい、会社のせい、時代のせい・・そんな風に自分以外のもののせいにしたほうが、自分の心を守ることができますからね・・
ですので、苦しい状況であればあるほど、「現在の人生は自分で作ってきたもの」という世界観を受け入れることは「とても勇気がいること」だと思うのです。
しかし、勇気を出してそれを引き受けることを決断し、さらに今後のメルマガで少しずつお伝えしていく方法論を実践していくことができれば、人生の中にポジティブな経験や感覚がどんどん増えていくことをお約束します。(ネガティブなことが完全に無くなることは難しいのですが、明らかに良いことが増えていくはずです)
勘違いしてほしくないのは、もしもあなたが、現在苦しい状況にあったとして、僕はその状況に対して「それはあたなのせいですよ!」と言いたいわけではありません。
そうではなくて、もしも今の状況に満足していないなら「あなたが勇気を出して動き出せば、人生をもっとより良く作り変えることができるはずですよ」ということをお伝えしたいだけなのです。
ですので、「自分のせいだ・・」と無力感に浸るのではなく、「今の状況を自分が作ってしまったのだとしたら、他の形に作り変えることもできるはずだ」と、良くも悪くも、自分は人生をいろんな方向に作り変えられるポテンシャルを秘めた存在なんだと受け止めてもらえたらと思います。
ということで、長くなってきたのでまた次回に続きますね。
〇追伸
ここ最近お伝えしてきている考え方を真正面から受け入れられる方は、ある程度心に余裕がある場合が多いかと思います。
現在あなたが、あまりにも心が苦しすぎたり、いっそ死んでしまいたい・・と思ってしまうようなどん底の状況にいるのであれば、おそらく、自由や希望、勇気なんて青臭い話に耳を傾けられるほどの余裕なんてないはずですからね。
それがふつうですし、それでいいんです。
そのような場合は、焦る必要はないので、まずは心に余裕が出てくるまで、数週間でも数カ月でも、ゆっくり時間をかけて休んでください。
人生をより良い方向に変えていく取り組みは、心と身体に多少のゆとりが出てきてからでも遅くはありませんからね。
雰囲気の正体
目に見えない雰囲気(波動・エネルギー)と人生の質には明らかに相関関係があります。
例えば、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲといった印象のネガティブな雰囲気を年中まとっていると、その人が体験するあらゆる現象もネガティブなものになってしまう可能性が高くなります。
なぜかこの宇宙には、「自分が与えた波動・エネルギーと同質の現象を受け取るような仕組み」があるようなのです。
類は友を呼ぶ、引き寄せの法則といったものも、この仕組みの別の呼び名なのだと思います。
さて今回は、病気という現象について考えつつ、雰囲気(波動・エネルギー)の正体について掘り下げていきましょう。
いきなり結論を言ってしまうと、雰囲気は「気持ち」から生まれます。
心の内側にある気持ちの状態が、外の世界に波動・エネルギーとして現れたものが雰囲気なのです。
そのエネルギーは瞬時に周囲の人や宇宙全体に影響を与えます。
つまり、全ての現象は、「内側(心)から外側(現象)へと展開していく」わけです。
「病は気から」というように、病気という現象も、根本的な原因は大抵の場合、かなりヘビーなネガティブな気持ちを長期間持ち続けてしまったことにあると考えています。(たまに落ち込むくらいのことは誰にでもあるので問題ありません)
逆に言えば、できるだけ良い気持ちの状態を維持していくことができれば、そのエネルギーが身体に影響を与え、症状が改善する可能性が出てきます。
病は気からということは、健康も気からなのです。
僕はそのことを、これまで沢山のクライアントさんと接してきた経験から強く実感しています。
興味深いことに、症状が大きく改善していく方は、そのプロセスの中でほぼ必ず、「明らかに雰囲気が良くなったな」と感じるタイミングがあるのです。
気持ちが変わると、それが外側に現れ、雰囲気も変わります。
ですので僕は、雰囲気という目に見えないエネルギーの質が以前よりも良くなったのを感じると、「これは気持ちが変わってきた証拠だから、症状も時間の問題で楽になってくだろうな」とほっとします。
逆に、セルフケアや食事制限を一生懸命やっても、なかなか雰囲気=気持ちを変えられない方は、症状の改善が難しい傾向があるのです。
それだけ人間の気持ちの力には、本当に信じられないようなポテンシャルが秘められているということです。
長くなったので、続きはまた次回書きますね。
とりあえず今回は、全ての現象は、「内側(心)から外側(現象)へと展開していく」ということだけでも覚えておいてください。
気持ちの正体
前回のメルマガで、雰囲気とは、心の内側にある気持ちの状態が、外の世界に波動・エネルギーとして現れたものだとお伝えしました。
つまり、大まかには「気持ち=雰囲気」と言えます。
ネガティブな気持ちを長期間持ち続けてしまうと、「病は気から」という言葉のとおり、病気になりやすくなったり、醸し出す雰囲気が暗く、重く、固く、トゲトゲしたものになるので、人間関係が悪化したり、なぜかネガティブな現象を引き寄せやすくなる傾向があり・・
一方、気持ちが明るくなると、それにともなって雰囲気も変わり、人生が好転していく傾向があります。
ですので僕は、良くも悪くも、人生に起きるあらゆる現象の出発点は「気持ち」にあると考えています。
さて、気持ちという言葉は「気を持つ」と書きますよね。
気とはエネルギーそのものなので、気持ち自体にエネルギーが宿っている(というか、気持ちはエネルギーそのもの)のは当然だと思うのです。
さらに、エネルギーという言葉をネットで調べると「仕事をする能力」と出てきますが、僕は「何かを動かしたり、何かに影響を与える力」という感じで捉えています。
ということは、できるだけ気持ち良いと感じるような感覚を大切に日々を生きていけば、良い性質の気・エネルギーが、自分と周囲の人をポジティブな方向に動かし、あらゆる物事にポジティブな影響を与えられると考えられるのではないでしょうか。
それに、類は友を呼ぶという言葉のとおり、良い性質の気をまとった人を沢山引き寄せることにもつながるのではないかと思います。
理由はわからないけれど、どうやら自分が放ったエネルギーが形を変えてさまざまな現象として表れているっぽい
前回のメルマガの要点は、気持ちとは、「気を持つ」と書くように、それ自体が「気=エネルギー」を秘めているという話でした。
つまり、気持ち良い状態になっている人はポジティブなエネルギー(雰囲気)を、気持ち悪い状態になっている人はネガティブなエネルギー(雰囲気)を周囲に発しているということになります。
そして、どうやら自分の内側にある気持ちから外側に展開したエネルギーは「自分にまた返ってくる」ようなのです。
例えば、お風呂の中で、お湯を手で前にぐっと押すと、前方の浴槽の壁に当たった波が自分に返ってきますよね。
この時、乱暴にお湯を押すと乱暴な波が、やわらかくお湯を押すとおだやかな波が自分に返ってきますが、イメージとしてはそんな感じかもしれません。
できるだけ気持ち良く生きようと意識していると(そのための具体的な方法は今後のメルマガでお伝えしていきますね)、ポジティブな雰囲気が世界に放たれ、そのエネルギーがいつか(いつどのタイミングで返ってくるかはわからない)何らかの現象として自分に返ってくるわけですが、その現象のバリエーションはいろいろみたいです。
人から親切にされたり、ギリギリ電車に間に合ったり、ライブのチケットが当たったり、まったく違った仮面を被ったポジティブなエネルギーが「ただいま!」みたいな感じで自分の元に返ってくるので、その現象が「自分が放ったエネルギーが形を変えたもの」だと捉えることはかなり難しいのですが、でもなぜかそういうことが起こるようなのです。
ほんと不思議ですよね。
いまだに僕も、こういう仕組みについて完全に確信しているとまでは言えないのですが、少なくとも、自分の気持ちのエネルギーが外に展開していった結果、あらゆる現象を引き起こしていることについては間違いないと感じています。
であれば、できれば良い現象として自分のところに返ってきてほしいですよね。
そのためのカギが「気持ち良いという感覚」なんです。
キモチイヤシ(気持ち癒し)
前回のメルマガで、「気持ち良いという感覚」が、自分の人生により良い現象や人間関係を引き寄せるためのカギだとお伝えしました。
なぜなら、できるだけ気持ち良い感覚を意識して生きていると、そのポジティブな雰囲気が常に世界に放たれ続け、そのエネルギーと「同質」のポジティブな現象が起きる可能性が高くなるからです。
世界からポジティブな現象を受け取るためには、先に自分が、率先して世界にポジティブな気持ち=雰囲気(エネルギー)を与える必要があるということですね。
ですので、毎日、できるだけ沢山、気持ちが良くなるような行動をどんどん起こしていきましょう。
さて、あなたにとって気持ちが良い感覚とはいったいどんなものでしょう?
絶対的な正解はないので、人によっていろいろな表現があっていいのですが、おおむねそれは、楽しい、うれしい、ワクワク、心地いい、かわいい、愛しい、ほっとする、安心する、ほっこりする、温かい、優しい、爽やか、夢中、誇らしいなど、そういった言葉で表現される感情を引き起こすものと言えるはずです。
「私はほっこりする感じが好き」「私は好奇心が強いからワクワクすることが好き」「私は爽快な気分の時に幸せを感じるから運動して汗をかくのが好き」など、人によって気持ち良いと感じる傾向は違いますので、「自分に合った気持ちよさ」をとことん追求してみましょう。
反社会的な行為でない限りは、気持ちが良い感覚になるのであれば、「どんなことでもいい」のです。
二度寝することに幸せを感じる人は、休みの日に率先して二度寝しましょう。いや三度寝しましょう。
犬や猫が好きな人は、通勤時間の間中、ずっと犬猫の赤ちゃんの動画を観てほっこりしましょう。
ゲームが好きな人は、ゲームをどんどん楽しみましょう。
ぼ~っとするのが好きな人は、休みの日にずっとぼ~っとしてましょう。
社会的な意味、人からの評価、生産性など関係ありません。
むしろ、そういうことを気にして行動してしまうと、固くて重く、トゲトゲした雰囲気(エネルギー)を放ってしまうことが多いのです。(これについてはまた今度書きます)
ですから、本当にシンプルに、ただ気持ち良いと感じる行動を、毎日できるだけ沢山取ればいいのです。
ポジティブな気持ちになっている時間が増えれば、それに比例してポジティブな雰囲気を放っている時間も増え、ポジティブな現象が起こる可能性も増えていきます。
目に見えないエネルギーの世界では、本当に「驚くほどシンプルな力学が働いている」ようなのです。
ですから、「自分の気持ちを徹底的に大切にして生きれば、本当はそれだけで人生はどんどん良い方向に展開していく」わけです。
ただ、このシンプルな力学を受け入れることはそう簡単ではありません。
なぜなら、大抵の人は「努力しなければ、苦しさを、困難を乗り越えなければ、人は幸せになれない」という教育を受けてきていて、気持ち良さを大切にすると人生はより良くなるという考え方をそのまま受け入れられる人は少ないからです。
特に子どもの頃、厳しい家庭で育った人は、気持ち良さという感覚に「罪悪感さえ覚える」人も少なくないくらいですからね・・
ですから、この考え方をしっかり理解するためには、気持ち良さを大切にするという行動(訓練)を取るのと同時に、自分の気持ちを大切にする生き方について、さまざまな新しい考え方や価値観を勉強する必要があります。
行動と知識、二つの両輪が必要なわけです。
これからどんどん、ポジティブな気持ちのエネルギーを使って人生をより良く変えていく方法をお伝えしていきますが、このメソッドをとりあえず仮に「キモチイヤシ(気持ち癒し)」と呼びたいと思います。
キモチイヤシ理論編、キモチイヤシ行動編、キモチイヤシエネルギーワーク編みたいな感じで(変わるかもしれませんが)、いろいろ方向から「気持ちを癒すことで、気持ちのエネルギーを活性化し、人生を変えていくための方法を体系化してお伝えしていきたいと考えています。
問題なのは弱いことではなく、あまりにも強すぎることにある
前回のメルマガの最後で「キモチイヤシ」について書きました。
名前はまだ仮なので、変えるかもしれませんが、文字通り、気持ちを癒すことの重要性について、いろいろな角度から体系化していこうと思っています。
昔から、気持ちのエネルギーの強大さと、それをコントロールして、人生をより良くする方法について伝えたいという想いが強く、知識的にも、技術的にも、やっとそれを形にできる時期がやってきたような気がしています。(実は、これまでのメルマガの「雰囲気」についての記事も、「キモチイヤシ」につなげるための伏線でした。)
とはいえ、正直なところ、どんな切り口で伝えていくのがベストなのか、自分でも曖昧なところがあるので、探り探りにはなってしまうと思うのですが、この記事を書くことで自分の考えを整理しつつ、ゆくゆくはその記事を体系立てて、一つのホームページにしたいと思っています。
ということで、まとまりが悪い内容になってしまうこともあるかと思いますが、これからも探り探り、自分の想いをお伝えしていきたいと思っています。
さて、今回は「キモチイヤシ」ってなんなの?という部分を掘り下げていこうと思います。
「キモチイヤシ」とは、他人や世間の評価、将来の不安や損得勘定などに振り回されるのではなく、できるだけ「自分の気持ちを基準(コンパス)にして生きていく」ことで、目に見えない「気持ちのエネルギー」の特性を利用して、人生の中にポジティブな現象をどんどん引き寄せるためのメソッドみたいなものです。
人生は選択の連続とよく言いますが、どんな行動を取るか、どんな風に考えるか、どんな価値観を持つかという選択基準を、「できるだけ気持ちがポジティブになること、またはニュートラルになること※」に変えていく。それが自分の気持ちをコンパスにして生きるということです。
(※本当は、ポジティブとかネガティブといった二元論を超えて、それらを包括したニュートラルな気持ち(なんでも受け入れられる状態)を維持できることが理想なのですが、それは簡単なことではないので、最初はわかりやすいポジティブな気持ちを作るところからはじめることをおすすめしたいと思っています)
ポジティブな気持ちを基準にした行動が増えれば増えるほど、ポジティブな雰囲気(エネルギー)が世界に放たれ、ポジティブな現象が起こる可能性も増えていきます。
つまり、できるだけ自分の気持ちを大切にすればするほど、人生はより良い方向に展開しやすいということになります。
とはいえ、目にも見えず、数値化することもできない気持ちなんてものを基準に生きるなんて不安過ぎる・・と感じる人も多いと思います。
やっぱり、自分の主観、感覚よりも、世間的に評価されていることや、他人の意見を基準にしたほうが、なんとなく安心感がありますもんね。
でも僕は、そういう不安を乗り越えてでも、自分の気持ちを重視したほうがいいと考えているんです。
なぜなら、「気持ちのエネルギーが、現実に与えている影響が強すぎる」からです。
多くの人は、なぜか「自分は心が弱い」と信じきっていて、人生がうまくいかなかったり、ネガティブなことが起きるのもそのせいだと思っているようです。
だからこそ、もっと強くならなきゃ・・、無理にでも心の弱さを隠さなきゃ・・ということで、世間や他人からの評価、お金や学歴などのわかりやすいステータスを追い求める人が多いのではないかと思います。
でも、人って本当にそんなに弱いものなのでしょうか。
さまざまなネガティブな現象は、人間の心の弱さによるものなのでしょうか。
僕の見解は全く逆で、人生がなかなかうまくいかない主な理由は、「あまりにも強すぎる心のエネルギーをコントロールできていないから」なのではないかと考えています。
つまり、人生の中に起こる多くの問題は「暴れ馬のように強すぎる心のエネルギーの暴走」によって起きていると考えているわけです。
この解釈がこのメソッドの骨子となる、最も重要な部分です。
ですので、「キモチイヤシ」では、まるで暴れ馬のように強すぎる心のエネルギーをできるだけ暴走させずに制御していく方法や、そのエネルギーを使ってポジティブな現象を引き起こす方法をお伝えしていきたいと思っています。
さて、既にお伝えしてきたように「キモチイヤシ」の世界観では、人間は誰でも「心という、あまりにも強すぎるエネルギー源を既に持っている」と定義します。
もちろんあなたも、既にこの瞬間、現実を大きく変えることができるポテンシャルエネルギー(心)を持っているわけです。
自分には何かが不足しているとか、弱いとか、欠陥があると思いがちですが、人生をより良くするために最も重要なことは、何かを補ったり飾ったりすることよりも、「既に持っている強烈なエネルギーの使い方を学ぶこと」なのです。
気持ち=雰囲気のエネルギーの強烈さについて・人間関係編
前回のメルマガでこんなこと↓を書きました。
人生がなかなかうまくいかない主な理由は、「あまりにも強すぎる心のエネルギーをコントロールできていないから」なのではないかと考えています。
つまり、人生の中に起こる多くの問題は「暴れ馬のように強すぎる心のエネルギーの暴走」によって起きていると考えているわけです。
~ここまで~
これから何回かに分けて、気持ち=雰囲気のエネルギーがどれだけ強烈な力を秘めているのかということについて、いろいろな角度からお伝えしていきたいと思います。
~気持ち=雰囲気のエネルギーには、その場を支配したり、人間関係を良くも悪くもできるほどの影響力がある~
雰囲気とは、心の内側にある気持ちが、外の世界に波動・エネルギーとして現れたものだと考えられます。
ですので、ある程度、感受性が強い人であれば、雰囲気からその人の心の状態を推測することは難しくありません。
そこまで敏感ではない人でも、「なんかイライラしてるな」とか「焦ってるな」とか「今日はやたら機嫌がいいな」くらいのことを感じ取れる人は少なくないはずです。
なぜ気持ちは、目に見えないにもかかわらず、周囲の人に伝わってしまうのでしょう。
それは、物理的な身体から外側に大きくはみ出して、周囲の空間や人に多大な影響を及ぼしてしまうほど、気持ち(雰囲気)のエネルギーが強すぎるからです。
例えば、電車の中に、明らかに怒りのオーラが出ている人が一人いるだけで、場合によっては車両全体がピリつきます。
盛り上がりにかけていた飲み会にポジティブな雰囲気の人が遅れて参加すると、場の雰囲気が格段に良くなります。
つまり、気持ち・雰囲気のエネルギーには、良くも悪くも「その場の空間を支配できてしまえるくらいの力が宿っている」わけですね。とにかく強烈なのです。
〇気持ちのエネルギーをネガティブに使った場合
これだけ強い気持ちのエネルギーをネガティブな方向に暴発させてしまうとどんなことが起きるでしょう。
まず間違いのは、どんどん人間関係が悪い方向に展開してしまうということです・・
例えば、毎日顔を合わせなくてはならない職場の同僚が、年がら年中、暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲといった印象のネガティブな雰囲気(気持ち)を発し続けていたら、相当ストレスを感じますよね。
それだけで、その人に苦手意識を感じたり、関わらないようにしようと思う理由としては十分ですから、人がどんどん離れていってしまう可能性が高いわけです・・
〇気持ちのエネルギーをポジティブに使った場合
では、例えば、いつもはネガティブなその同僚が、ある時から急に、なんとなくポジティブな雰囲気や、ニュートラルな雰囲気(こだわりがなく柔軟な感じ)を発することが多くなってきたとしましょう。
すると、周囲の人も無意識にそれを感じ取って、人間関係が劇的に改善されることがあります。
気持ちのエネルギーは良くも悪くも強烈過ぎるので、それをポジティブな変化を起こすために使うことができれば、かなりの確率で人間関係は好転していきます。
ちょっと信じられない・・と思うなら、こんなシチュエーションをイメージしてみてください。
例えば、年中イライラしている職場の先輩に、どうしても頼み事をしなきゃいけない場面があったとして、あなたならどんなタイミングで話を切り出しますか?
おそらく、「できれば機嫌が良さそうな雰囲気の時に話しかけよう」と思う人が多いのではないでしょうか。
それはそうですよね。ネガティブな感じがする時よりも、ポジティブな雰囲気をまとっている時のほうが話しかけやすいですもんね。
つまり、ポジティブな雰囲気(気持ち)のエネルギーには、警戒心や不安感を和らげ、「周囲の人との距離を近づける力が秘められている」わけです。
その効果は絶大です。
いつも機嫌が悪そうで、なかなか話しかけづらい感じの先輩であっても、なんとなく機嫌良さげな雰囲気が出てさえいれば、たったそれだけのことで、周囲の人は警戒心を緩め「今なら話しかけやすそう」と感じさせるくらいの癒し効果があるということですからね。
だとすれば、その苦手な先輩の雰囲気が、ある時期から、以前よりも明らかに柔らかくなってきたとしたら、これまで以上に気軽に質問したり、仕事を頼みやすくなると思いませんか?
間違いなく、以前よりも警戒心や不安感は薄れるでしょうし、その結果、心の距離が近づき、関係は改善していくはずですよね。
つまり、ポジティブな雰囲気(気持ち)のエネルギーには、人間関係を修復したり、今以上にもっと良い関係を作っていく力があるということです。
〇ネガティブな雰囲気を出し続けると、なぜ人が離れていくのか
暗い、重い、固い、ピリピリ、トゲトゲといった印象のネガティブな雰囲気(気持ち)を年中放っていると(たまに落ち込むくらいは全然問題ありません)、周囲から人が離れていく可能性が高くなってしまいます・・
なぜなら人は、本能的にも、経験的にも、ネガティブな雰囲気に対して、「警戒心や不安を感じやすい」からです。
例えば、子どもや動物などは、ネガティブな雰囲気を放っている人を警戒したり怖がったりする傾向があるように思えますが、これは本能的な反応と言っていいでしょう。
また、大抵の大人は、ネガティブな雰囲気(気持ち)を放っている状態の人と関わると、攻撃されたり、トラブルに巻き込まれたり、延々、愚痴を聞かされたりする可能性が高いということを経験的に知っています。
ですので、ネガティブな雰囲気を感じることで、警戒したり不安になってしまうのは、本能的にも、経験的にも、当然の反応なのでしょう・・
誰だって、自分がかわいいわけですからね。
自分を守るために、無意識にネガティブな雰囲気(気持ち)を放っている人から距離を取ろうとするのも仕方がないことなのだと思います・・
〇ポジティブな雰囲気を意識すると、なぜ人間関係が好転するのか
もうお気づきかと思いますが、ポジティブな雰囲気や、ニュートラルな雰囲気(こだわりがなく柔軟な感じ)は、周囲の人に「安心感や信頼感」を与えます。
実際、ポジティブな雰囲気を放っている人は、本能的な子どもや動物にも好かれやすいですし、経験豊かな大人にも好かれやすい傾向がありますからね。(大人は、経験上ポジティブな感じの人と関わると良いことが起きやすいことを知っているからでしょう)
特に強調しておきたいのは、こういった反応が「本能レベル」で起こってしまうというところです。
つまり、質の高いポジティブな気持ちのエネルギーには、周囲の人を本能レベルで安心させたり、信頼させるポテンシャルがあるということです。
本能ですから、抵抗するのは至難の業です。
なぜか、ものすごくポジティブなエネルギーを放っている人に対しては、理屈を超えて好感を持ってしまう傾向があるわけですね。
僕たちは大人なので、例としては極端かもしれませんが、小さな子どもなんかは、まさにポジティブなエネルギーの塊なので、本能的に好感を持ってしまうことが多いですよね。
つまり、ポジティブな気持ちのエネルギーには、それだけ理屈を超えた力が秘められているということです。
いかがですか。
少しは気持ちのエネルギーの強烈さをご理解いただけたでしょうか。
もしも共感していただけたなら、少しずつで構わないので、ポジティブな気持ちになれる時間、回数を増やすことを意識してみてはいかがでしょうか。
継続していくと、周囲の人はあなたに対して、本能的にも経験的にも好感を持ちやすくなるので、少しずつ人間関係がポジティブなものに変化していくはずですよ。
気持ちのエネルギーの強烈さについて・病気編
前回の人間関係編に引き続き、今回は、気持ち(雰囲気)のエネルギーと病気の関係について解説していきたいと思います。
「病は気から」という言葉があるように、気持ちのエネルギーがネガティブに作用すると、生命力を低下させ、病気を作ったり、老化のスピードを早める傾向があります。
では、ネガティブな気持ちのエネルギーは、どのような形で心と身体にダメージを与えるのか、二つの異なる視点から考えていきたいと思います。
まずは、きわめて現実的な視点から考えてみましょう。
ネガティブな気持ちを感じている時、人は強いストレス状態になります。
ストレスは身体を緊張させ、力ませるので、血液の流れが悪くなってしまいます。
血液循環が悪くなると、細胞に栄養や酸素をスムーズに供給したり、老廃物を排出することが難しくなってしまいます。
さらにストレスは、自律神経やホルモンバランスを乱し、免疫力を低下させる要因にもなりますから、ネガティブな気持ち=ストレス状態があまりにも長期間続いてしまうと、病気になったり、老化が進むリスクが高まるわけです。
次は、ちょっと変わった角度から、ネガティブな気持ちと病気や老化の関係について考えてみたいと思います。
気持ちのエネルギーはとても強く、その影響力は、物理的な身体から外側に「大きくはみ出してしまうほど」です。
そして、この外側にはみ出している部分の、周囲の空間や人に影響を与えているエネルギーが、いわゆる「雰囲気」というものだと考えてください。
自分で自分の雰囲気を感じることは難しい※ので、実感が無い場合がほとんどだと思いますが、周囲の空間には間違いなく自分の気持ちのエネルギー(雰囲気)が漂っています。
(※自分の雰囲気を感じづらいのは、おそらく自分の体臭に鈍感なのと同じ理屈で、慣れ過ぎてしまっているからだと思います)
裏を返すとそれは、僕たちの身体は常に「自分が発した気持ちのエネルギー(雰囲気)の中にある」ということになります。
ということはつまり、身体は常に「自分が発した気持ちのエネルギーの影響を受け続けている可能性が高い」と言えるのではないでしょうか。
この仮説が正しいとすれば、ネガティブな雰囲気(気持ち)を発している時、僕たちは「自分で自分を傷つけている・自爆している」と言えるかもしれません・・
例えば、掃除をせずにゴミばかりため込んでしまうと、部屋はどんどんゴミで溢れ、衛生的に問題がある環境で生活することになるわけですが、ネガティブな雰囲気(気持ち)を年中出し続けてしまうということも、もしかすると目に見えないエネルギーのレベルでは、これと似たような状況を作っているかもしれないのです・・
ゴミで溢れた部屋であろうと、ネガティブなエネルギーが充満した空間であろうと、良くも悪くも人間は慣れてしまう生き物です・・
ですので、それが当たり前になってしまうと、意識的にその問題に気づくのが困難になる傾向があるのですが、身体はちゃんとネガティブな状況に反応しているものです。
例えば、なんとなく嫌な感じがする場所に行ったりすると、瞬間的に身体が反応して、緊張したり、鳥肌が立ったり、寒気がしたりしますよね。
つまり、意識的には気づかなくても、身体はちゃんと目に見えないネガティブなエネルギーの影響を感じとって、ストレス反応を示すわけですね。
ですので、あまりにも長期間ネガティブな雰囲気(気持ち)を発し続けてしまうと病気や老化のリスクが高まるのです。
先に述べたように、ストレスによって血液循環が悪くなると、細胞に栄養や酸素をスムーズに供給したり、老廃物を排出することが難しくなってしまいますからね・・
ということで、ネガティブな気持ちのエネルギーと病気や老化の関係について、異なる二つの視点から解説してきましたが、ネガティブな気持ちの強烈さが伝わりましたでしょうか。
今回は、人によっては不安を感じる内容だったかもしれません。ごめんなさい<(_ _)>
しかし、おそらく先に「ネガティブな気持ちを維持することの圧倒的なコスパの悪さ」をネチネチと細かく書いておいたほうが、僕が一番伝えたいと思っている「できるだけポジティブな気持ちを意識して生きることの圧倒的なコスパの良さ」に気付いてもらいやすいかなと思ったのです。
長くなったので、ポジティブな気持ちのメリットは簡単にまとめますが。
ポジティブな気持ちで生活することをちょっと意識するだけで、血液循環が良くなり、細胞に栄養や酸素がスムーズに供給しやすくなり、老廃物も排出しやすくなります。
さらに、自律神経やホルモンバランス、免疫機能が正常な状態に近づくことで、病気が改善したり、より健康になったり、若返る可能性が高くなります。
また、ポジティブな気持ちは、ポジティブな雰囲気を作るので、その中に存在している身体も、常にポジティブなエネルギーの影響を受けることになります。
これは、ある意味、「自分の気持ちのエネルギーで、自分の身体をヒーリングしているようなもの」と言えるかもしれません。
ポジティブな気持ちのエネルギーを発揮する機会を増やしていくことができれば、お金をかけたり、誰かの力に依存することなく、これだけポジティブな現象を引き寄せられる可能性があるわけです。
いかがですか、圧倒的なコスパの良さだと思いませんか。
少しでも共感していただけたなら、少しずつポジティブな気持ちになれる時間を増やしていくことを意識してみてはいかがでしょうか。(ポジティブな気持ちを作るための具体的な方法論については、これから書いていくつもりです)
目からウロコが落ちるかもしれない超重要な考え方
これまで二回に渡って、気持ち(雰囲気)のエネルギーが、人間関係や健康状態に与えている影響力の大きさについてお伝えしてきました。
少しずつ、ネガティブな気持ちのエネルギーを無自覚に暴走させてしまうことのリスクに気づき始めた人も出てきているかと思いますので、今回からは「キモチイヤシ(仮)」というメソッドを生活に役立てていく具体的な方法や考え方について、どんどん掘り下げていきたいと思います。
その前に、まずこのメソッドの目的をはっきりさせておきたいのですが、それは、強烈過ぎる気持ちのエネルギーを暴走させるのではなく、うまくコントロールすることで、できるだけ人生の幸福度を高めることです。
気持ちのエネルギーは、例えるなら「切れ味が良すぎる刃物」のようなものです。
下手に使うとケガをしてしまう一方で、うまく使いこなせば、芸術的な料理を生み出すこともできるように、暴れ馬のような気持ちのエネルギーを上手にコントロールすることが、幸福度を高めるコツなのです。
ということで「キモチイヤシ」というメソッドを通じて、是非、気持ちのエネルギーをコントロールするための考え方や方法論を少しずつ学んでいただければと思います。
それでは今回は、気持ちのエネルギーとうまく付き合っていくために、絶対最初に知っておくべき「目からウロコが落ちるかもしれない超重要な考え方」を解説していきます。
結論から先にお伝えしますが、これからは「ネガティブな気持ちになっても全然オッケー」と考えるようにしてください。
表現を変えてもう一度伝えますね。
「無理にポジティブにならなきゃいけないと決めつけなくても大丈夫です。別にネガティブなところがあったって全然オッケーです」
えっ、ネガティブな気持ちになったらダメなんじゃないの!?と驚いた人も多いかもしれませんね。
たしかに、できるだけネガティブな気持ちにならないほうがいいのですが、強烈すぎるネガティブな気持ちのエネルギーの怖さを理解しているからこそ「ネガティブになってしまう自分を徹底的に肯定したほうがいい」と僕は考えています。
その理由は、自分のネガティブさを否定してしまうことが「最もネガティブな気持ちのエネルギーを暴走させてしまう行為の一つ」だからです。
ネガティブになるのは悪いことだと決めつけて、無理にポジティブにならなきゃ・・と力んでしまう人が結構多いのですが、残念ながらこの方法ではなかなか人は変われません・・
むしろ結構な確率で、さらにネガティブな現象を引き寄せてしまう可能性さえあるのです・・
例えば、完璧主義的に自分のネガティブさを否定して、無理に強くならなきゃとか、ポジティブにならなきゃとストイックになってしまうと「固くて重く、トゲトゲしたネガティブなエネルギー(雰囲気)が出てしまう」ので、そのせいで病気や老化のリスクが高まったり、周囲から人が離れていってしまう可能性があるのです・・
実際試してほしいのですが、心の中で「私はネガティブな自分が大嫌いです」と唱えてみてください。
おそらく大抵の人は、なんとなく胸の辺りが苦しくなったり、呼吸が浅くなる感じがすると思うのですがいかがでしょうか。
ですので、ネガティブな自分を頭から否定するのではなく「いったんネガティブな気持ちになることを許可してあげた上で、そこから少しずつじっくり、ポジティブな気持ちになれることを増やしていく」ようにしていきましょう。
それが「最短ルートで人生の幸福度を高めるコツ」だと思ってください。
それに、そもそもの話、ネガティブにならないようにするなんて、不可能だと思いませんか?
程度の差はあれ誰だってネガティブな気持ちになることくらいあるわけですよね。
僕だってたまにそういう時がありますけど、ネガティブになっちゃいけないなんて一切思いません。
だってそんなの「生きてれば当たりのこと」ですからね。
しかも人間の脳には、予めネガティブなことを予想することで、自分の身にネガティブな現象が降りかかることを回避しようとする性質があるので「そもそもネガティブなことを考えやすいのは本能的に仕方がないこと」なのです。
ですので、もしあなたがネガティブだったとしても、本来それを否定したり、責めたりする必要は全然ないのです。
ということで、今後、ネガティブな気持ちになってしまった時は「これは脳の性質から来てるものだから、あんまり気にしないようにしよう」とか「苦しいけどこういう時もあるよね」とか「たまにネガティブになるくらいのほうが、心が麻痺してない証拠だよね」みたいな感じで、可能な限り大らかに受け止めるようにしていきましょう。
そして、仮にそれがうまくいかなくて、しばらくネガティブな気持ちを引きずってしまったとしても、その状態に対しても同じように「たまにはネガティブを引きずっちゃうこともあるよね」という感じで、繰り返しネガティブな自分を受け入れてあげることを意識してみてください。(そしてそれもうまくいかなかったら、その状況さえも肯定してあげてください)
この訓練を繰り返していくと、どんどん良いことが起こるようになっていくはずです。
なぜなら「ネガティブな気持ちになっても全然オッケー」と考えたほうが「気持ちが楽になり、ポジティブなエネルギー(雰囲気)が出やすくなる」からです。
ポジティブな気持ちのエネルギーは、体調を良くしたり、気持ちを明るくするだけでなく、周囲の人たちを本能的に安心させたり信頼させる力を持ってますから、人間関係も良い感じになっていくはずです。
ということで、これからはネガティブな自分を頭から否定するのではなく、とりあえず肯定してあげながら、それと同時に、少しずつポジティブな気持ちになれることを増やしていきましょう。
追伸
ネガティブな自分を肯定してあげるのって、なんとなく現実逃避っぽく感じてしまう人もいるかもしれませんが、まったく逆で「これほどポジティブな行為は他に無い」のではないかと僕は思ってます。
逆に、ポジティブな自分しか認めないなんて、むしろ最悪にネガティブな行為だと思うのは僕だけでしょうか・・
ネガティブな自分もポジティブな自分も、どちらも自分の一部なわけですから、どちらも受け入れてあげることで「陰と陽が統合できる」と言いますか「半人前じゃなくて一人前になれる」のではないかと考えています。
それではまた次回も、強すぎる気持ちのエネルギーを暴走させず味方につけ、人生の幸福度を高めるためのメソッド「キモチイヤシ」について書いていきますね。
ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由
それでは今回も、気持ちのエネルギーの強烈さを味方につけて、人生の幸福度を高めるメソッド「キモチイヤシ(仮)」について学んでいきましょう。
前回は、ネガティブな気持ちになることを許容してあげることの重要性についてお伝えしました。(前回のメルマガはこの文章の下に貼り付けておきます。ちなみにそれ以前のメルマガは、そのうちホームページにまとめて見れるようにする予定です。これまでは全てのメルマガを貼り付けていたのですが、文字数の限界に来てしまったので・・)
今回は、ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになってくる理由を二つの視点から掘り下げていきたいと思います。
まずは気・エネルギーの法則に関連した視点から掘り下げていきましょう。
自分の中にあるネガティブな性質を否定してしまうということは、言い換えると、自分の中に存在するネガティブなエネルギーに対して「臭い物に蓋をする」ような感じで、無理矢理押さえつけてしまっているような状況だとイメージしてください。
この状態だと、ネガティブなエネルギーは活動が抑制され、動きづらい状態になってしまうのですが、これがマズイのです。
例えば、ある程度ちゃんと流れている川の水は綺麗ですが、流れが滞ると水質が悪くなりますよね。
それと同じように、ネガティブなエネルギーも動きが悪くなると、よりネガティブな性質が強くなってしまうので、さらに怒りや悲しみ、不安感や嫉妬心などが強まってしまう傾向があるのです・・
逆に、ネガティブな気持ちの存在を認めてあげると、ネガティブなエネルギーは抑圧から解放されて、極端な暴走が起きづらくなります。心が安定してくるのです。
ちょっと話が変わりますが、人間って、禁止されたり、否定されると、その対象にさらにエネルギーが向かって、もっと興味が大きくなってしまうようなところがありますよね。
例えば「いいですか、絶対にピンク色のゾウのことをイメージしちゃダメですよ」なんて言われると、むしろ鮮明にイメージしちゃったり、子どもに「あの部屋は危険だから入っちゃだめだよ」と言ってしまうと、逆に興味津々になってしまうみたいなことってふつうにあるわけじゃないですか。
つまり「禁止したり、否定したり、見てみないふりすることは、より状況を悪化させる可能性が高い」ということです。
ですので「ネガティブになってはいけない」と気持ちを抑圧するよりも「ネガティブでもオッケー」と肯定してあげたほうが、ネガティブなエネルギーが解放されて、むしろ暴走が収まる=心がポジティブなる傾向があるわけですね。
次は、抽象的な気持ちのエネルギーを、擬人化しつつ物語形式で掘り下げてみます。
おそらく物語にすることで、ネガティブな気持ちを肯定することの重要性をよりイメージしやすくなるはずです。
〇登場人物
・ポジティブさん=あなた中にあるポジティブな気持ち。
・ネガティブさん=あなたの中にあるネガティブな気持ち。
・心の国=あなたの心
・天の声=あたなの心の声
「心の国」には、ポジティブさんと、ネガティブさんが住んでいました。
ポジティブさんは、文字通りいつもポジティブなので、天の声から叱られることはほとんどありません。
一方、ネガティブさんは、天の声からいつも叱られてばかりで、時には存在を無視されてしまうこともあります。
ネガティブさんはその度に悲しくなったり「なんで私ばっかり!」という怒りで頭が真っ白になってしまいます。
見てみないふりをされてると気づいた時などは、あまりの悔しさから「私はここよ!こっちを見てよ!」と叫びながら力の限り暴れまわり、天の声に対して自分の存在をアピールします。
「無視されるのが一番辛い・・叱られたほうが全然マシ・・」ネガティブさんはいつもそう思うのでした。
いつものように、自分の存在をアピールするために暴れまわっていると、ある時、天の声からこんなメッセージが送られてきました。
「沢山叱ったり、無視したりしてごめんね。これからはあなたのことも、空からちゃんと見てるからね」
メッセージを聞いたネガティブさんは、飛び上がるほどの喜びとともに「もう暴れなくていいんだ・・」という安堵感につつまれました。
そうです。
ネガティブさんは決して「自ら好んで暴れているわけではなかった」のです。
しかし、自分の存在を否定されることや、見てみないふりをされることがあまりにも悔しかったので、自分のエネルギーをコントロールできなくなってしまっていたのです。
喜びと安堵感にひたりながら、ネガティブさんは天に向かってこう言いました。
「これからは、ポジティブさんだけじゃなくて、私のこともずっと見守っていてください。私が私のままでいることを応援してください。それだけで私は十分幸せです。」
その後、ネガティブさんが暴れまわることは、日に日に減っていったとさ・・
おしまい。
いかがでしょう。ネガティブな気持ちをそのまま受け入れてあげることが、エネルギーの暴走を抑え、結果的に心を安定させる理由がイメージできたでしょうか。
実は、ネガティブな気持ちのエネルギーを暴走させないための対処法は、「その存在をそのまま受け入れてあげるだけで十分」なのです。
例えば、イライラした時は「私は今、イライラしたいんだな。まあそんな時もあるよね。イライラしたって大丈夫」
悲しい時は「私は今、悲しい気持ちになりたいんだな。まあそんな時もあるよね。たまには悲しい気持ちになったって全然いいんだからさ」
嫉妬した時は「私は今、嫉妬したいんだな。そりゃあ嫉妬したい時だってあるよ。誰かを傷つけるわけじゃないし、全然大丈夫」
不安な時は「私は今、不安なんだな。そういう時もあるよね。まずは自分が不安を感じてることをちゃんと認めてあげよう」
泣きたい時は「私は今、泣きたいんだな。そういう時もあるよね。家に帰ったら沢山泣こう!」
そんな感じで、ネガティブな気持ちを、もう一人の俯瞰した自分(天の声)がありのまま受け入れてあげる感じです。(もしも今「それができないから苦労してるんだよ」という気持ちが出たなら、「私は今、これを難しいと感じているんだな。そういうこともあるよね」という感じで、その気持ちもそのまま受け止めてあげてください)
これからネガティブな気持ちになった時は是非、その状態を実況中継のような感じで「私は今、〇〇なんだな。そういうこともあるよね」と、心の中で受け止めてあげる訓練を繰り返してみてください。
それができるようになってくると、ネガティブな気持ちのエネルギーが抑圧から解放され、極端な暴走が起こらないようになっていくはずです。
具体的には、イライラや不安が激減し、とにかく心が軽やかになっていきます。
そして、他人と自分を比較する頻度が減り、少しずつ「自分は自分のままでいいんだ」と思える回数が増えていくはずです。
「キモチイヤシ」というメソッドには、気持ちのエネルギーを味方につけ、人生を好転させるさまざまな方法論があるのですが、最も簡単に、短期間で効率良く幸福度を高められる可能性が高いのは、おそらくこの「ネガティブな気持ちをありのまま受け入れるワーク」だと思います。
ということで、是非このワークを生活の中に取り入れてみてくださいね。
目に見えない世界のほうが重要で、目に見える世界はその結果に過ぎないと僕が考える根拠
それでは今回も、気持ちのエネルギーの強烈さを味方につけて、人生の幸福度を高めるメソッド「キモチイヤシ(仮)」について学んでいきましょう。
前回は、ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由についてお伝えしました。
ちなみに、この前は書き忘れたのですが、ディズニー/ピクサーの「インサイド・ヘッド」という映画を観ると、心の中のネガティブさを否定することの問題点がよりイメージしやすくなるはずなので、ご興味がある方はご覧いただくといいかもしれません。
・インサイド・ヘッド予告
さて、これまで抽象的なエネルギーの世界について「気持ちのエネルギー」という切り口を掘り下げる形でお伝えしてきました。
何かに例えてみたり、いくつかの異なる視点から説明したりしながら、できるだけわかりやすく解説してきたつもりですが、なんせ目に見えない世界の話ですから、うまく伝えるのはなかなか難しいものだなと感じています。
そもそも、なぜ僕が、苦労しつつもこういったあやしげな話をしているのかというと、「目に見えない世界のカラクリを学ぶことが、人生の幸福度を高める最も簡単な方法」だと考えているからです。
僕は「目に見えない世界で先に起こったことが、結果的に、目に見える物理的な世界の現象として表れている」可能性が高いと考えています。
例えば「病は気から」という言葉があるように、東洋哲学では、気という目に見えないエネルギーの機能に問題が起こり、その問題が現象化したものが病気であるという捉え方をします。
まず先に、目に見えない世界の中でエネルギーが動き、そのエネルギー作用の結果として、目に見える世界で体験するあらゆる現象が起こるということです。
つまり東洋哲学では、あらゆる現象が起こる原因、種のようなものは、目に見えない世界にあると考えているわけですね。
ということで、僕はこういった仮説を元に、人生をより良く変えていくためには、目に見えないエネルギーの世界を攻略したほうが手っ取り早いと考えてまして、その方法論として、気持ちのエネルギーを味方につける「キモチイヤシ」というメソッドについてお伝えしてきたわけです。
とはいえ、さすがにこんなオカルトじみた話をすんなり受け入れられる人は少ないと思いますので「目に見えない世界で先に起こったエネルギーの働きが、物理的な現実を作っている」という非常識な世界観を少しでも受け入れやすいものにするために、いろいろなエピソードをお伝えしていきたいと思います。
〇レモンとうめぼし
レモンとうめぼしを同時に口の中に入れて、ぐちゃぐちゃと噛んでいる所をイメージしてみてください。
唾液が出てきませんか?
よく考えると不思議ですよね。
目に見えない心の世界の中でイメージしたことが、なぜか唾液という物理現象を引き起こしてしまうわけです。
他にも、過去の嫌な出来事を思い出してしまった時に、呼吸が浅くなったり、鳥肌が立ったり、顔色が悪くなったりすることがありますが、これも心という目に見えない世界のエネルギーが、物理的な身体にさまざまな現象を引き起こす例と言えると思います。
〇スマホと家
あなたのスマホや住んでいる家も最初は、誰かの心の中にあったものです。
スマホや家のデザインが誰かの心の中にアイデアとして浮かび、それが設計図や企画書として二次元に現れ、その後、実際のスマホや建築物として三次元に展開していきます。
そういう意味では、生活を取り巻くすべての商品やサービスは、誰かの心の世界から、現実世界にやってきたと言えるのではないでしょうか。
〇身体の特徴や能力
身体の特徴や能力の違いは、細胞の中にあるDNAによって予め設計されていると言われています。
DNAは物質ですが、重要なのはそこに書き込まれている「目に見えない情報」です。
そういう意味では、僕たちの身体や能力も、目に見えない世界で先に設計図(情報)が作られていて、それに基づいて、物理世界に身体や能力が現れていると言えるのではないでしょうか。
〇宇宙の始まり
想像力のスケールをどんどん大きくしていくと、宇宙のことを考えるようになるものです。
宇宙の始まりについては、まだわからないことだらけのようですが、一般的な仮説としては「ビッグバン」というものがあります。
時間も空間も、もちろん物質も、本当になんにもない完全なる無の中で、なぜか突然、大爆発が起こり、とんでもない超高密度、超高温のエネルギー状態からなぜか時間と空間が現れ、その後、ものすごい時間をかけて物質が生まれるようになったそうです。
まったくわけがわかりませんが、僕の単純な思考回路からすると、宇宙の成り立ち的にも、先に目に見えないエネルギーの状態が現れ、その後に物質世界が現れたわけだから、やっぱり現在の宇宙でも、目に見えないエネルギー的な世界が先で、物質的な世界は後という構造は残っているのでは?と想像しています。
〇実は認識できない世界のほうがメジャー?
この宇宙を構成している要素の中で、僕たちの身の回りに存在している物質(原子によってできている物質)が占める割合は「わずか5%以下」しかないことをご存知でしょうか。
ちなみに、残りの「95%」の内訳は、「27%」が正体不明の物質・ダークマター(暗黒物質)で、それ以外の「68%」をダークエネルギー(暗黒エネルギー)によって占められていると言われているそうです。
※中二病的なネーミングセンスですが科学的な話です。
参考記事
ふつうに生きていると、目に見える物質的な世界が全てであるように錯覚してしまうものですが、大きなスケールから見れば、むしろ目に見える世界のほうが珍しい少数派と言えるのかもしれませんね。
また、僕らの目が認識できる光(可視光線)、認識できる音、認識できる臭いなどは、他の動物と比較して、とても限定されたものでしかありませんよね。
たしかに、人間は動物よりも多少知識はありますが、前述したとおり、僕らがいくら頑張って物質的な世界について勉強しても、残念ながらそれは宇宙全体の5%にも満たないわけです・・
つまり、お馴染みの物質的な世界や五感で認識できる世界は、実は「ものすごくマイナー」で、割合的には、非物質的な世界や、ふつうは認識できない世界のほうが「メジャー」と言えるのではないでしょうか。
僕としては、マイナーリーグでプレイするよりは、メジャーリーグでプレイしたほうが、いろいろな意味でメリットが大きいような気がするのですが、あなたはどう感じますか?
ということで、いろいろなエピソードをお伝えしてきましたが、少しは「目に見えない世界で先に起こったエネルギーの働きが、物理的な現実を作っている」という考え方に興味を持っていただけたでしょうか。
もし興味を持っていただけたなら、これから少しずつ「キモチイヤシ」を通じて、目に見えないエネルギーの世界(メジャーリーグ)のカラクリを学んでいただければと思います。
ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワーク
前回のメルマガでこんなこと↓を書きました。
~引用開始~
僕は「目に見えない世界で先に起こったことが、結果的に、目に見える物理的な世界の現象として表れている」可能性が高いと考えています。
例えば「病は気から」という言葉があるように、東洋哲学では、気という目に見えないエネルギーの機能に問題が起こり、その問題が現象化したものが病気であるという捉え方をします。
まず先に、目に見えない世界の中でエネルギーが動き、そのエネルギー作用の結果として、目に見える世界で体験するあらゆる現象が起こるということです。
つまり東洋哲学では、あらゆる現象が起こる原因、種のようなものは、目に見えない世界にあると考えているわけですね。
~ここまで~
「目に見えないエネルギーが現象化する」という世界の捉え方に慣れてもらうために、今回もいろいろな具体例や考え方のモデルを出しつつ掘り下げていきたいと思います。
目に見えない気の世界を長く探究していると、目に見えている物理的な世界は「影」のようなものなのかもしれない・・という感覚がどんどん実感をともなってくるものです。
例えば、身体を動かすと、それに合わせて影も移動するように、目に見えない世界でエネルギーが生じると、そのエネルギーの性質に合わせて、目に見える世界で何かしらの現象が起きるようなイメージです。
「エネルギーと現象化はセット」ということですね。
それでは、もっと身近な例で説明していきます。
心の中にネガティブな気持ちのエネルギーが発生すると、そのエネルギーは何かしらの形で必ず現象化します。
人によって現れ方はさまざまですが、顔色が変わる、眉間にしわが寄る、舌打ちをする、暴言を吐く、モノにあたる、血圧が上がる、呼吸が浅くなる、お腹が痛くなる、もともとあった症状が悪化する・・といった具合です。
仮にすぐに現象化しなかったとしても、抑圧されたエネルギーは、虎視眈々と現象化するタイミングを計っているものなので、どこかのタイミングでそのエネルギーが爆発して、いっきに大きく派手な現象が現れてしまう可能性があります・・
また、ポジティブな気持ちのエネルギーの場合も、現れる現象がポジティブよりのものになるだけで、基本的には同じプロセスをたどることになると考えてください。
例えば、ポジティブな気持ちが心に生じることで、ニヤニヤしてしまう、機嫌が良くなる、呼吸が深くなる、体調が良くなる、何かにチャレンジしたくなるといった現象が起きる傾向があります。
ポジティブな気持ちのエネルギーが問題を起こすことはまずないので、放っておいてもいいのですが、ネガティブな気持ちのエネルギーはため込めばため込むほど、現象化した時のダメージも大きくなる傾向があるので「できるだけため込まないようにするほうが安全」です。
方法論としては、気持ちをありのまま受け入れるワーク※によって、その場その場でネガティブなエネルギーをこまめに無効化していくことをおすすめします。
(※ワークの詳細はこちらの記事をご覧ください→ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由https://kikuchiyablog.com/backnumber#2)
めちゃくちゃ地味なワークですが、これが習慣化できると、ネガティブなエネルギーを抑圧してため込むことが無くなってくるので、心の中のノイズが減って、クリアで軽やかな感覚に近づいていくはずですよ。
ただ、このワークの狙いは、ネガティブなエネルギーをこまめに制御して、これ以上ため込まないようにしつつ、できるだけ心をクリアに保つことですので、例えば、これまでの人生の中で沢山ため込んできてしまったネガティブなエネルギーを、ある程度まとまった形で捨てたいという場合は、あまり適した方法ではないかもしれません。(それでも、毎日こまめに捨てていくことで結果的には減らせるのですが)
ですので、ネガティブなエネルギーをある程度まとめて浄化したい場合は、ストレス発散になるような「ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワーク」がおすすめです。
方法は沢山あるので、自分に合ったものを選べばいいと思いますが、例えば・・
・カラオケで大声を出す
・まくらで口をふさいで大声を出す
・ライブやクラブで騒ぐ
・家で一人で踊り狂う(トランス状態になるような音楽をかけるといいかもしれません)
・誰にも見られないノートに、愚痴を書きまくって、その紙を家の外のゴミ箱に捨てるか、儀式めいた感じにしたいなら、火事に気をつけつつ燃やす
・ジョギングして汗を流す
・大人が身体を動かしつつ楽しめる施設で遊ぶ(アスレチック、ボーリング、トランポリン、ボルダリング、バッティングセンターなど)
・泣く(感動する音楽を聴いたり、映画を観てもいいかもしれません)
・ケガに気をつけつつ、布団を丸めたものを蹴ったり、殴ったりする
・これでもかというほど、とにかく寝て寝て寝まくる
・新聞紙や雑誌などの紙をビリビリに破る
・常識の範囲内で、たまにはパ~っと買い物をする
・一人の時に、貧乏ゆすりを意識的にしまくる(癖になって無意識に外でやらないように注意)
こんな感じです。
基本的に、心の中に生じたネガティブなエネルギーは、必ずどこかのタイミングで何かしらの形で現象化するものなのですが、逆に言えば、「自分の意思でガンガン行動して、先に何らかの現象を能動的に起こしてしまえば、悪さをするネガティブなエネルギーもその現象とともにどんどん消費されて減っていく」わけです。
イメージとしては、自分の力でわざと小さな爆発を起こすことで、大きな爆発が起こる可能性を減らすような感じですかね。
具体的な取り組み方としては、日常的には、その場その場でこまめにネガティブなエネルギーを無効化していくワークを使いつつ、最近ストレスがたまってるな・・と感じた時や、すごく嫌なことが起こった時などに、頓服的に「ネガティブなエネルギーを爆発させるワーク」に取り組んでみると、かなり効率よくネガティブなエネルギーと付き合っていくことができるはずです。
習慣化するためには、例えば、一か月に一度くらいはカラオケに行こうとか、一週間に一度くらいはジョギングしようとか、嫌なことがある度にノートに愚痴を書こうとか、自分の好みに合わせて一定のルールを決めておくのもおすすめです。
ネガティブな気持ちをありのまま受け入れられるようになると、自己肯定感が高くなる理由
ここ数回のメルマガの中で、ネガティブな気持ちのエネルギーと付き合う方法について詳しくお伝えしてきました。
お伝えしたワークは以下の二つです。
・ネガティブな気持ちをありのまま受け入れることによって、その場その場でネガティブなエネルギーをこまめに制御していくワーク
詳細はこちらの記事をご覧ください→ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由https://kikuchiyablog.com/backnumber#2
・ストレスがたまってる時や嫌なことが起こった時などに、ネガティブなエネルギーをある程度まとめて浄化するワーク
詳細はこちらの記事をご覧ください→ ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワークhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#3
他にもいろいろな方法があるのでおいおいお伝えしていくつもりですが、まずはこちらの二つに慣れていくことをおすすめします。
特にネガティブな気持ちをありのまま受け入れるワークは、シンプルですがとても効果的です。
いろいろな効果があるのですが、特に強調したいのは、このワークを習慣化すると、短期間で効率的に「自己肯定感を高められる」可能性が高いということです。
ネガティブな自分を否定したり責めるのではなく、そのまま受け入れてあげる練習を通じて、少しずつ自分の存在を肯定できるようになってくるのです。
例えば、これまでは自分の嫌なところばかりに意識が向いていたかもしれませんが、そういったことがだんだん減り、特に大きな結果を出したり、環境を変えなくても「こういうところは自分の良いところかもしれない」と思える機会が少しずつ増えていくはずです。
それでは、なぜネガティブな気持ちをありのまま受け入れるワークによって、自己肯定感が高まる可能性があるのかを解説していきます。
例えば、赤いTシャツが欲しいと思って、その気持ちが心の中で大きくなっていくと、突然、あちこちで赤いTシャツを着ている人が目に入るようになることってありますよね。
それ以外にも、旅行に行きたいなと思ってたら、旅行会社のパンフレットとか、旅行関係のブログなどを見つけやすくなったりするものですが、こういった現象は、人間の脳のある機能によって起こっています。
それは、網様体賦活系と呼ばれる機能で、簡単に言うと、僕たちの脳には「頻繁に考えていることや気にしていること、つまり今の自分にとって重要度が高いことに関連する情報を優先的に集めようとする性質がある」のです。
ですので、赤いTシャツのことばかり考えていれば、無意識に赤いTシャツの情報が沢山集まってくるようになり、ネガティブな自分を受け入れてあげることを意識し続けていくと、「こういうところは自分の良いところかもしれない」という面がどんどん見つかるようになって、自然と今の自分を受け入れられるようになってくる可能性が高いわけですね。
そうなってくると、他人と自分を比較して落ち込むことも減りますし、自分を装って大きく見せようとしたり、過剰なまでに周囲の空気を読んで顔色をうかがうようなことも減ります。
まとう雰囲気は軽やかで柔らかくなり、特別なことをしなくても、なぜか周囲の人との関係性も良くなったりします。
とにかく「生きることがものすごく楽になる」のです。
「今までなんであんなに苦しかったんたろう・・」と不思議になるほど感覚が変わる人も少なくないはずです。
一方で、自己肯定感があまりにも低く、日々、自分を否定し続けている人はどうでしょう。
前述した、脳の網様体賦活系の機能から考えると「自分を否定するような情報ばかりに意識が向く状態になってしまう」のです・・
この状態になっている人は、いくら一生懸命努力して何かしらの結果を出したり、人から評価されたとしても、それを素直に受け入れることができません。
いくら褒められても、励まされても、脳の仕組み的に、自分で自分のネガティブな情報ばかりを見つけてしまうので「こんな自分じゃだめだ、もっと頑張らなきゃ、もっと結果を出さなきゃ・・」という感じでどんどん自分を追い込んでしまうことになるのです・・
これは本当にしんどいと思いますし、場合によっては、心や身体の病気に発展してしまうこともあるかもしれません。
ですので、こういったことに心当たりがある人や、もっと自己肯定感を高めたいとか、もっと楽に生きられるようになりたいと思っている人は、是非、ネガティブな気持ちを肯定するワークを習慣化できるように練習してみてください。
自己肯定感が高くなると、間違いなく、実感としての幸福度は高まりますからね。
具体的な方法としては、以下のような感じでやってみてください。
例えば、イライラした時は「私は今、イライラしたいんだな。まあそんな時もあるよね。イライラしたって大丈夫」
悲しい時は「私は今、悲しい気持ちになりたいんだな。まあそんな時もあるよね。たまには悲しい気持ちになったって全然いいんだからさ」
嫉妬した時は「私は今、嫉妬したいんだな。そりゃあ嫉妬したい時だってあるよ。誰かを傷つけるわけじゃないし、全然大丈夫」
不安な時は「私は今、不安なんだな。そういう時もあるよね。まずは自分が不安を感じてることをちゃんと認めてあげよう」
泣きたい時は「私は今、泣きたいんだな。そういう時もあるよね。家に帰ったら沢山泣こう!」
そんな感じで、ネガティブな気持ちになった自分を、もう一人の客観的な自分がありのまま受け入れてあげて肯定してあげる感じです。
赤いTシャツへの想いが強くなるほど、街中で赤いTシャツの人を見つけられる確率も高くなるように、ネガティブな自分を受け入れて肯定してあげるようとする想いが強くなるほど「こういうところは自分の良いところかもしれない」という感じで、自分を肯定できる面に気付く可能性が高くなっていくはずです。
慣れてしまえば簡単なので、是非練習してみてくださいね。
実体験をもとに解説する「他人に対するイライラを減らして、やさしく寛容な自分に生まれ変わる方法」
他人の行動や言動に対してイライラしてしまうのってすごく疲れますよね・・
僕も昔は「もっと人にやさしく寛容になれたらいいのにな・・」なんてことをよく思っていました。
昔と比べて、あまり他人にイライラするすることも無くなってきた今だからこそ断言できるのですが「他人に寛容になれたほうが、人生は間違いなくラク」です。
イライラが激減することで精神的に楽になることはもちろん、寛容になると、やわらかいポジティブな気持ちのエネルギーが雰囲気として周囲に放たれるので、自然とポジティブな現象を引き寄せやすくなったり、人間関係もうまくいきやすくなりますからね。
ということで今回は、「他人にやさしく寛容になるためのコツ」について、昔の僕のエピソードをまじえてお伝えしていきたいと思います。
振り返ってみると、昔の僕は、完璧主義っぽいところが結構ありまして、「自分はこういう人間であるべきだ」「こうじゃなきゃダサい」みたいなところが強かったように思うのですね。
今でこそ「ネガティブなところをどんどん受け入れていきましょう」なんてことを言ってますが、僕も昔はなかなかそれができなくて、苦しい思いをしていたような気がします。
原因不明の声が出なくなる病気※になってしまったくらいですから、よっぽど肩ひじ張りながら無理していたように思います・・(※病気の詳細についてご興味がある方はこちらをご覧ください→https://kikuchiya.info/page-32)
そんな中、30代に入ってからくらいですかね。
だんだん無理して強がっている自分に疲れてきてしまったのか、ある時期から急に「別にどんな自分でもいいか。死ぬわけじゃないし」みたいな感覚が強まっていったのです。
そして、おそらくそれくらいの時期から、他人に対してだんだん寛容になれるようになっていった気がします。
こういった自分の体験を通して思うのは、「自分を許せない人ほど、他人も許せない傾向がある」ということです。
実際、一般論として、完璧主義な人、ストイックな人、〇〇しなきゃいけない、〇〇すべきといった考え方に縛られてしまっている人ほど、他人を許せず、他人の言動や行動にイライラしてしまう傾向があると思うのですが、なんとなく、自分に厳しい人ほど、他人にも厳しいというイメージってありませんかね?
20代前半くらいの頃の自分を思い出すと、努力してないように見える人や上昇志向が全くないように見える人などにイライラする傾向があったように思います。
頼まれてもいないのにいろいろアドバイスしようとしたり、説教臭いことも言ってたと思いますし、いわゆる「マウンティングを取る」というようなことも多少やってしまっていた気がします・・
若気の至りとはいえ、今思えばだいぶ面倒くさい人間でしたね・・
おそらくこの頃は、かなり無理をしながら、もっと努力しなきゃ!もっと成功しなきゃ!もっと結果を出さなきゃ!という感じで、現状のあるがままの自分を受け入れられずに、どんどん自分に負荷をかけていたのだと思うのです。(声が出なくなったのもこの時期ですし)
そして「自分はこんなに無理をしていて、辛い思いをしているのだから、みんなもそうすべきだ!努力すべきだ!」という強引で未熟な理屈から、いろんな人の言動や行動にイライラしていたような気がします。
でも心の中に、「無理して努力したくない。無理して成功なんてしなくない」という自分がいることを受け入れられるようになってからは、努力していないように見える人や上昇志向がないように見える人がいても、だんだん気にならなくなっていきました。
現在はもう、本当に全く何も思わないですし、むしろ今は「努力しなくてはいけませんよ!もっと成長するべきですよ!という世の中(資本主義的な)からの押し付け」に洗脳されていないことのほうが、実はすごいことなのかもしれないと考えているほどです。
ということで、そろそろ結論に入っていきますが、他人の言動や行動に対してイライラせず、もっとやさしく寛容になりたい人は、少しずつでいいので「現状の自分を許してあげる」ようにしてみてはいかがでしょうか。
それができるようになってくると、おそらくこんな変化が起こるようになっていくはずです。
例えば、いつも我慢ばかりしている人が「本当はこんなに我慢したくない」という自分の本音を受け入れられるようになってくると、だんだん我慢して付き合っていた相手や我慢しなくてはいけないシチュエーションを避けるようになってきます。
すると、我慢するストレスが減ってくるので、結果的に、サボっているように見える人、甘え上手、世渡り上手に見える人、楽しそうに見える人、自由奔放に見える人、自分の正直な気持ちを表現できる人へのイライラが減ってくるはずです。
なぜなら、自分が我慢し過ぎているから、我慢していないように見える人(そう見えるだけで、本当はみんな我慢している部分はあるものですけどね)に対してイライラしている可能性が高いからです。
ですので、我慢するストレスが減れば、自然と他人に対するイライラが減る可能性が高いわけです。
その他にも、自分のネガティブなところをどんどん受け入れられるようになってくると・・
誰かがミスした時に「自分もミスすることあるもんな」と思えたり。
イライラしている人を見ても「自分もイライラすることくらいあるもんな」と思えたり。
誰かが愚痴を言っていても「自分も愚痴くらい言うもんな」と思えたり。
誰かがサボっていても「自分にもサボりたい時くらいあるもんな」と思えたり。
誰かが嘘をついていても「自分も結構小さな嘘をついてるもんな」と思えたりと、少しずつかもしれませんが、自然と他人の言動や行動に対して寛容になっていけるはずです。
つまり僕たち人は、自分の弱さ、自分のネガティブなところを受け入れることができるようになってくると、心が安定していき、だんだん他人にも優しくできるようになっていくのです。
「自分の弱さを認められる人は強くて優しい」ということですね。
では、どうすれば現状の自分をありのまま受け入れられるようになるのでしょうか。
実はその具体的な方法は既に何度もお伝えしています。
そうです。もうお気づきのように「ネガティブな気持ちをありのまま受け入れることによって、その場その場でネガティブなエネルギーをこまめに制御していくワーク」のことです。
詳細はこちらの記事をご覧ください→ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由https://kikuchiyablog.com/backnumber#2
実は自分の弱さやネガティブなところを受け入れる練習は、「他人の弱さやネガティブなところを受け入れる練習でもある」のです。
自分のことを受け入れられない人、つまり自分の弱さに寛容じゃない人は、他人にやさしくできるほど心の余裕を持つことは難しいですからね・・
一方で、だんだん自分を受け入れられるようになり、自分の弱さ(弱さというか本当の自分ということですよね)に寛容になれるようになってくると、僕がそうだったように、他人を受けいれられる余裕も大きくなっていくはずですからね。
ですので、他人の言動や行動にイライラしてしまいがちの人や、自分の心の中のネガティブな部分を受け入れてもっと楽に生きたいと感じる人は、是非このワークに取り組んでみてくださいね。
もっと自分に寛容になってあげたほうが、力が抜けて、他人にも寛容になれるはずですからね。
自分に合ったポジティブさを貫くことが、本物のポジティブな生き方
「キモチイヤシ(仮)」というメソッドの目的は、気持ちのエネルギーの強烈さを味方につけて、人生の幸福度を高めることにあります。
実感としての人生の幸福度を高めるためには、できるだけネガティブな気持ちのエネルギーを小さくして、それと同時に、ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくしていくことが重要です。
これまでは主にネガティブな気持ちのエネルギーを小さくする方法について解説してきましたが、そろそろ「ポジティブな気持ちのエネルギー編」に入っていきたいと思います。
さて今回は「自分に合ったポジティブさについて」というテーマです。
おそらく、ポジティブな気持ちという言葉を聞くと「楽しい、ワクワクする、うれしい、誇らしい、ウキウキする、面白い」などの気持ちをイメージする人が多いのではないでしょうか。
たしかに、こういった動的で元気な印象のポジティブさもありますが、僕の中ではそういう「Theポジティブ!」という感じの気持ちは、ある意味「ステーキとかお寿司」みたいな印象がありまして(笑)
毎日食べると胃もたれしそうなので、「たまにご褒美として感じることができればそれで十分」という感じなのです。
ですので、もしもめちゃくちゃ意識が高い人とかに「毎日、楽しいことやワクワクすることに、ガンガンチャレンジしていきましょう!」なんて言われてしまったとしたら、たぶん「そんな元気ないんですけど・・とか、そんなテンションにはなれないかも・・」と感じてしまうと思うのです。
もしあなたも「それわかるわ~」という感じでしたら、無理してポジティブ界のステーキやお寿司的立ち位置の「楽しい・ワクワク系」の人になろうとする必要はありません。
〇おだやか系のポジティブさも存在する
では、楽しい・ワクワク系の気持ちに苦手意識を感じていたり、あまりピンとこない人はどうしたらいいのかというと「もっとおだやか系のポジティブな気持ち」を意識して生きるようにしていけばいいと思うのです。
例えばこういった気持ちはどうでしょう。
「おだやか、安心する、心地いい、気持ちがいい、落ち着く、ほっとする、ほっこりする、和む、癒やされる、温かい、やわらかい、気持ちがラク、優しい、爽やか」など。
おそらく、楽しい・ワクワク系に苦手意識を感じている人でも、おだやか系のポジティブな気持ちを日々大きくしていくことならできそうと感じる人も少なくないのではないでしょうか。
僕の中のイメージでは、穏やか系のポジティブさを食べ物に例えると、和食っぽいといいますか「健康的で、毎日食べても飽きづらい」印象があるのですが(笑)
もしも、ステーキやお寿司(楽しい・ワクワク系)は胃もたれしそう・・という人は、もしかすると、おだやか系のポジティブな生き方のほうが合っているかもしれません。
〇自分に合ったポジティブさを貫くことが、一番ラクで幸福度が高くなりやすい
重要なのは「自分の性質に合ったポジティブさを知ること」です。
なぜなら、どんなに世間的にポジティブだと言われている気持ちでも「自分に合っていないものは偽物のポジティブ」だからです。
他人や世間が「もっと人生を楽しもうよ!ワクワクして生きようよ!笑顔でいようよ!」と押し付けてきたとしても、そういう生き方が合わないなら、違和感を感じるなら、そういう風潮に乗っかる必要はないのです。(胃もたれしてまで、毎日ステーキやお寿司を食べる必要はないのです)
なぜなら、「本当にポジティブな生き方とは、自分の性質にピッタリ合った生き方」だからです。
ですので今後、ポジティブな気持ちのエネルギー(雰囲気)を大きくするためのワークやさまざまな考え方をお伝えしていく中で気をつけていただきたいのは「自分の性質に合ったポジティブさを選んで、それをどんどん大きくしていってほしい」ということです。
例えば、ワクワク!楽しい!という気持ちはよくわからないけれど、「ほっとする~とか、心地いい~という感覚は好き」と思うなら、それをとことん追求してみてください。(楽しい・ワクワク系がしっくりくるなら、もちろんそれを追求してオッケーです)
イメージとしてはこんな感じです。
ほっとするお店で食事をして、心地いい感触の服を選び、ほっとする香りのアロマで癒され、心地よく歩ける道を選んで会社に行く。
そういうことを意識して生活を見直していくと「自分の性質にピッタリ合った生き方に近づいていく」ので、気持ちがどんどんポジティブになっていきます。
まとう雰囲気も、どんどんやわらかく、温かなものになっていき、それにともなって、なぜか健康状態や人間関係が改善したり、良いことが起きやすくなったりします。
つまり、「自分の性質に合った生き方に近づけば近づくほど、ポジティブな気持ちのエネルギーが大きくなり、人生がどんどん良くなっていく」わけですね。
ということで、この続きはまた今度書きますが、その間に是非、あなたが「無理なく受け入れられる自分らしいポジティブさ」とはどんなものなのか、とりあえず以下の表現の中からでもいいので考えてみてくださいね。
1つにしぼる必要はないので、ためしにしっくりくる表現を「2~3個くらい」選んでみましょう。もちろん動的なもの静的なものが混じっても大丈夫です。
〇楽しい、ワクワクする、うれしい、誇らしい、ウキウキする、面白い
(動的で元気な印象のポジティブさ・通称楽しい・ワクワク系)
〇おだやか、安心する、心地いい、気持ちがいい、落ち着く、ほっとする、ほっこりする、和む、癒やされる、温かい、やわらかい、気持ちがラク、優しい、爽やか
(静的でおだやかな印象のポジティブさ・通称おだやか系)
ほとんどの日本人は「おだやか系ポジティブ」を目指したほうがラクに生きられる可能性が高い理由
前回の記事の最後に「あなたが無理なく受け入れられる自分らしいポジティブさとはどんなものなのか考えてみてくださいね。」と書きました。
とりあえず、自分らしいポジティブさについて一度は考えてもらったという前提で話を進めていきますね。
僕の予想では、おそらく二人三脚ヒーリングの登録者のほとんどは「おだやか系のポジティブさ」のほうを好ましく感じたのではないかと思っているのですが、あなたはどうでしたか。
実を言うと、登録者に限った話ではなく、おそらく「ほとんどの日本人にとっては、おだやか系のポジティブさを意識した生き方のほうが合っている」のではないかと僕は考えているのですが、その根拠は「日本人特有の遺伝子」に関係しています。
〇ネガティブな気持ちと遺伝子の関係
あまり小難しい話になるのも嫌なので、ものすごくざっくりお伝えしていきたいと思いますが、「セロトニン」という、別名「幸せホルモン」と呼ばれる神経伝達物質をご存知ですか?
「幸せ」というポジティブな言葉が付くだけあって、このホルモンが脳の中から減ると不安になったり、気分が落ち込んだり、またはそれが転じて、イライラしやすくなる傾向があるとされています。
そして、この幸せホルモンの分泌量を左右している遺伝子が「セロトニントランスポーター」です。
この遺伝子にはいくつかの「型」が存在しており、どの型を持っているかによって、ある人は楽観的な性格になり(セロトニンの分泌量が多い)、ある人は不安を感じやすい性格になり(分泌量が少ない)、ある人はその中間の性格になる・・
という感じで、生まれつき性格の傾向がある程度決まっているそうです。
ちなみに、セロトニン分泌量が多い遺伝子の型を保有している人、つまり前向きで楽観的な人がどれくらい存在しているかという割合は、国によっても全然違っていて
「アフリカ人 > アメリカ人 > アジア人」
の順でどんどん少なくなっていくそうです。
まあたしかに、肌感覚的にもアジア人より、明らかにアメリカ人やアフリカ人のほうが楽観的な感じがしますよね。
調査によると、なんと日本人の「68.2%」が、セロトニン(幸せホルモン)の分泌量が少ない(不安を感じやすく悲観的)タイプのセロトニントランスポーター遺伝子を保有しているそうです。
ちなみに、日本人の中で、ストレスフルな状況でも比較的安定していられるような楽観的な人(セロトニンの分泌量が多いタイプの遺伝子を持つ人)の割合は、たったの「1.7%」しかいないそうです・・
100人中2人くらいって・・
個人的には、さすがにもっと多いんじゃないかと思うのですが、遺伝子レベルの話ではそういうことらしいのです。
まあ、どんな研究も日進月歩でどんどん塗り替えられていくものなので、この遺伝子の研究を完全に鵜呑みにしているわけではないのですが、他にも日本人は幸福度が低い※というデータもあったりしますので・・
(※150か国以上を対象に、2012年から毎年実施されている調査による「世界幸福度ランキング」でも、日本は「56位(2021年)」ということで、先進諸国と比較するとかなり低い水準にある)
そういった研究や調査をもとに考えると、どうやら僕たち日本人が「不安を感じやすく、ネガティブな気持ちになりやすい民族」である可能性は極めて高そうです。
ということで、ここまでの話から見えてくることは、物事を楽観的に捉えることが苦手な僕たちにとっては、楽しい・ワクワク系のポジティブさとはかみ合わない可能性が高いのでは?ということです。
僕自身もそうなのですが、「うわ~めちゃくちゃ楽しい!すごいワクワクする!」みたいな強い感情ってあんまりピンとこないんですよね。
どちらかというと、家族と大きな公園の芝生の上でお弁当を食べながら「ああ風が気持ちいいな」みたいな、のどかな気持ちになっている時のほうが幸せだったりします。
もちろん、自分がそうだからといって、みんながそうだと思っているわけではないのですが、今回お伝えした研究、調査が示していることを含め、僕自身いろいろなクライアントさんと接してきた経験からも、おそらく多くの日本人にとっては、どちらかといえば楽しい・ワクワク系よりも、もっと気持ちが温かくなったり、安心できるような、おだやか系のポジティブさを意識した生き方のほうが合っているのではないかと思っています。
前回のメルマガでもお伝えしたように「本当にポジティブな生き方とは、自分の性質にピッタリ合った生き方」だと思うので、今回の記事が、自分の性質を知るヒントになれば幸いです。
ということで、続きはまた次回書きますね。
〇追記
このメルマガを配信した後にある登録者の方から「世界幸福度ランキング」の捉え方についてメールをいただきました。
多面的に物事を捉える良い材料になると思ったので、一部をご紹介させてもらいますね。
北米では「不幸なのは本人の無能のせい」と考える風潮が強く、人々は自らを幸福だと言いたがる傾向になり、転じて日本人は、ほどほどの幸せをいいものと思っているので、アンケートでも「100%幸せだぜ!」と答える人は珍しい。
このへんは統計のマジックだと思います。
このような統計データは、質問の仕方や、国民性、文化の近いによって、回答に大きな差が出るということですね。
一つのデータとして興味深いものではありますが、この手の調査に関しては、あまり鵜呑みにするのではなく、一定の距離を取りつつ眺めたほうが無難なのかもしれませんね。
「制御系と浄化系」ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくするワークには二つの系統があります
前回の記事で書いたように、個人差はあれど僕たち日本人の中には、遺伝子的に不安を感じやすく、ネガティブな気持ちになりやすい人が比較的多いようです。
とはいえこれは、アメリカ人よりも日本人の平均身長のほうがちょっと低いみたいな話でしかないので、良い悪いの話ではないですし、もちろん劣等感を感じるような話でもありません。
重要なことは、そういう傾向があるという事実を淡々と受け止めた上で、不安感やネガティブな気持ちを感じやすい僕らが、どうすればもっとラクに生きられるのか、幸福度を高めるられるのかを考え、戦略を練っていくことだと思います。
さっきの例えでいうと、多少身長が低くても優れた格闘家やスポーツ選手はいっぱいいるわけで、要は自分の性質を活かした戦い方を見つければいいということですね。
戦略を練る上で絶対に外せないと僕が思っているのが、「ネガティブな気持ちのエネルギーをできるだけ小さくするワーク」を可能な限り習慣化していくことです。
もともと遺伝子レベルでネガティブになりやすい傾向があるわけですからね。
特に、自分がネガティブな気持ちになりやすいタイプだと思う・・という自覚がある人は、重点的にケアしていったほうが得策だと思います。
また、心の中や胸の辺りを意識した時に、「ずし~んと重い感じ、固い感じ」の印象を強く感じる人も、そこそこネガティブなエネルギーをため込んでしまっている可能性がありますので、意識的にワークに取り組んでみることをおすすめします。
〇制御系と浄化系のワークについて
さて今回は、ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくするワークの「二つの系統」について解説していきたいと思います。
まずは「制御系」です。
文字通りこれは、ネガティブな気持ちのエネルギーをこれ以上暴走させないように、または大きくさせないように制御するテクニックです。
これまでお伝えしてきたものの中では、こちら↓が制御系のワークとなります。
・ネガティブな気持ちをありのまま受け入れることによって、その場その場でネガティブなエネルギーをこまめに制御していくワーク
詳細はこちらの記事をご覧ください→ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由https://kikuchiyablog.com/backnumber#2
次は「浄化系」についてですが、そもそも浄化という概念をよく知らないという人も多いと思いますので、少しでもイメージしやすくなるように例え話をしてみますね。
心の中に真っ白いキャンパスがあるとイメージしてみてください。
そして、この真っ白な状態がエネルギー的に「ニュートラル」な状態だと仮定したとします。
心の中にネガティブな気持ちのエネルギーをため込み続けていると、白かったキャンパスに異変が起きます。
色がどんどんくすんでいき、黒や灰色などの、暗く、重く、固い印象の色(エネルギー)に近づいていくのです。(黒や灰色が悪いわけではありません。これはわかりやすくするための方便です)
では、ネガティブな気持ちのエネルギーをヒーリングや各種ワークによって浄化するとどうなるのかというと、心のキャンパスの色が黒や灰色っぽい色から、だんだん白(ニュートラルな状態)に近づいていくと考えてください。
つまり浄化とは、「キャンパスにこびりついたエネルギー的なヨゴレを洗い流して、できるだけニュートラルな状態に近づけようとする行為のこと」と考えていただくとわかりやすいかと思います。
人によっていろいろな考え方があると思いますが、僕の浄化のイメージはこんな感じです。なんとなく伝わりましたかね。
ちなみに、これまでお伝えしてきたものの中では、こちら↓が浄化系のワークとなります。
・ストレスがたまってる時や嫌なことが起こった時などに、ネガティブなエネルギーをある程度まとめて浄化するワーク
詳細はこちらの記事をご覧ください→ ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワークhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#3
ネガティブな気持ちのエネルギーって、ホコリと似ていて、放っておくとどんどんたまっていってしまう傾向があります。
ですので、日々、制御系ワークによってできるだけ増やさないように気をつけつつ、それでも蓄積してしまったものを浄化系のヒーリングやワークによって、定期的にひとまとめにして捨てていく(これまでの人生で沢山蓄積してしまっている頑固なヨゴレ=ネガティブなエネルギーも蓄積してますしね)というのが、「キモチイヤシ(仮)」の基本戦略となります。
ちょっと強引に例えるなら、制御系が「毎日のホコリ掃除」で、浄化系は「袋にまとめたゴミをいっきに捨てる感じ」と言えるかもしれません。
今の段階ではまだほとんど紹介できていませんが、制御系も浄化系も、他にもいろいろなワークやテクニックがありますので、これから少しずつお伝えしていければと思います。
心や身体の重さと、ネガティブな気持ちのエネルギーの関係
前回の記事で、ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくするワークには「制御系と浄化系」の二つの系統があると書きました。
今回は「浄化と心と身体の重さ」についての話を絡めて掘り下げてみようと思います。
個人差があるので誰にでも起こるとは言えないのですが、ネガティブなエネルギーの浄化がうまくいった時によく起こる現象がありまして、こんなものが挙げられます。
・心が軽くなってクリアになる
・身体が軽くなって活動的になる
・まとっている雰囲気が軽やかに明るくなる(気持ちが身体の外に現れたものが「雰囲気」なので、ネガティブな気持ちのエネルギーが浄化されることで、まとっている雰囲気も軽くなるのだと思います)
これらの現象にはある共通点があります。
それは「重かった心と身体が軽くなる」ということです。
蓄積していたネガティブな気持ちのエネルギーを、浄化というエネルギー的な引き算によって減少させると、なぜか心と身体が軽くなるという現象が頻繁に起きます。
この現象から予想されることは、ネガティブな気持ちのエネルギーには「心と身体を重くする働きがある」のではないかということです。
僕の印象では、ネガティブな気持ちのエネルギーが沢山蓄積している人ほど、心と身体にのしかかっている「エネルギー的な重さ」が大きくなるせいか、とても重い雰囲気をまとっている印象があります。
もしかするとあなたも、ネガティブな人が発しているどよ~んとした重さを感じたことがあるのではないでしょうか。
一般的にも、ネガティブなことが起こると、気持ちが重くなったり、身体的にもなんとなくだるさや重さを感じる人が多いと思うのですが、心や身体を重く感じる原因の一つとして、ネガティブな気持ちのエネルギーが関係している可能性が高いのではないかと考えています。
〇浄化とデータの削除はちょっと似ているかもしれない
ネガティブな気持ちのエネルギーを浄化すると、心や身体が軽くなる人が多いのはどうしてだろう・・と考えていた時に、ちょっと強引な例えかもしれませんが、なんとなく「スマホやパソコンのデータを削除した時の感覚と近いのかもしれない」と思ったことがあります。
パソコンやスマホを使っていて「あれ、なんだか動作が重くなってきたな」と感じたことがある人は多いと思います。
動作が重くなる原因はいろいろあると思うのですが、よく聞くのが「余計なデータ(情報)が沢山たまってしまっている時に動作が重くなる」というケースです。
特別な使い方をしていなくても、気づかないうちにいろんなファイルや画像、動画などのデータがどんどん増えていくんですよね・・
それと似たような感じで、僕らの心の中にも、気づかない間にいろいろな情報(エネルギー)が増えていっているのだろうと思うのです。
そして、いろいろなデータの中でも、理由はわかりませんが、なぜかネガティブな気持ちというエネルギーは、やたら重い性質を持っていて、そのデータを沢山ためこんでしまうことで、心と身体のパフォーマンスが低下してしまうのでは・・と。
半分こじつけみたいなものですが、「ネガティブな気持ちのエネルギー=やたら重いデータ」「浄化=データの削除」と捉えてみると、なんとなくしっくりくる感じがするんですよね。
パソコンやスマホも、余計なデータを削除した途端、急にサクサク動くようになったりしますけど、僕ら人間も、余計なネガティブなエネルギーを浄化すると、心と身体が軽くなって、行動力が出てきたり、脳や内臓のパフォーマンスが上がったりのかもしれない・・なんて想像しています。
ということで、今回も目に見えない世界について少しでもイメージしやすくなるように例え話をしてみました。
「心と身体が重い」と感じることが多い人は、もしかするとネガティブな気持ちのエネルギー(データ)が沢山蓄積しているかもしれません。
ピンと来た人は、こまめにエネルギーを浄化するように意識してみると良いのではないかと思います。(地味ですが制御系のワークにも是非取り組んでみてください)
「解放系と浄化系と書き換え系」ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークには三つの系統があります
前回の記事で、ネガティブな気持ちのエネルギーには、「心と身体を重くする働き」があると書きました。
エネルギー的な重さがかかると、新陳代謝が落ちて、脳や内臓の機能が低下したり、チャレンジ精神や行動力が落ちて、人生に新たな変化を起こそうとする気力が低下する傾向があるようです。
変化することができなくなると、精神や能力の成長も止まってしまうので、未来の可能性が縮小し、人生が不自由な状態になっていきます・・
一方、ポジティブな気持ちのエネルギーには、どうやら「心と身体を軽くする働きがある」ようです。
一般的にも、ポジティブな気持ちになると、行動力が出てきたり、新しいことにチャレンジしようとする人が多いですよね。
ですので、心や身体が重く感じていたり、人生の変化が少なく、停滞している感じがする人は、ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークに取り組んでみてはいかがでしょうか。(具体的な方法はおいおいお伝えしていきます)
うまくいけば、心と身体の重さも減るでしょうし、行動力や気力が湧いてきて、人生の自由度も高くなっていくはずですよ。
〇解放系について
今回は、ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークの「三つの系統・解放系、浄化系、書き換え系」について解説していきたいと思います。
まずは「解放系」です。
自分の気持ちをコンパスにして、できるだけ心地よいと感じるコトやモノ、考え方や価値観などを能動的に選び取っていくワーク全般のことを「解放系」と呼んでます。
もっと具体的にいうと、楽しい、ワクワクする、うれしいなどの「楽しい・ワクワク系」か。
もしくは、おだやか、安心する、心地いい、気持ちがいい、落ち着く、ほっとする、ほっこりする、和む、癒やされるなどの「おだやか系」の感情の中から、自分にしっくりくるポジティブな気持ちを見つけて、できるだけその気持ちのエネルギーを大きくしていく感じです。(詳細はこちら→自分に合ったポジティブさを貫くことが、本物のポジティブな生き方 https://kikuchiyablog.com/backnumber#4)
マスメディアが捏造した、お金儲けのための偽物のポジティブさや幸福の形、または、親や周囲の人間に押し付けられた価値観などに囚われるのではなく、「自分の気持ちを解放し、それをコンバスにすることで人生の幸福度を高めていくワーク」なので、解放系と名付けました。
本当に沢山の人が、自分の気持ちを抑圧してますからね・・
身内や世間の価値観に合わせることが当たり前になり過ぎて、自分は何が好きなのか嫌いなのか、心地よく感じるのか、気持ち悪いのか、そういう感覚がマヒしてしまっている人も少なくないように思います。
以前はそれでもなんとかなりました。
自分の感覚に従わなくても、とりあえず、いい大学に入って、いい会社に入って、結婚してこどもを作って、マイホームを持てれば幸せ・・みたいな「幸せのテンプレート」が用意されていて、それに従っていればそこそこ幸せだった時代もありましたからね。
しかし、これだけ価値観が多様化して、幸せの形も、幸せになる方法も人によってまったく異なる現代においては、それぞれが自分の性質に合った、「自分専用の幸せ」を見つけることが、幸福度を高めるための必須条件になってしまいました。
そして、自分専用の幸せという宝箱を探す際、コンパス(方位磁石)の役割を果たすのが「自分の気持ち」なのです。
同じ指紋を持った人がいないように、同じ気持ちを持った人もいません。
あなたの気持ちは、世界であなただけしか持っていないユニークな個性ですから、その気持ちに従えば従うほど、あなたの個性が人生に反映され、「あなたによる、あなたのための人生。つまり自分純度100%の人生」に近づいていきます。
ですので、生きづらさを感じている人は、親や世間に人生のハンドルを渡すのではなく、自分の気持ちのコンパスが心地よい、ラク、楽しい!と反応するコトやモノ、考え方や価値観などを意識的に選択するようにしてみてはいかがでしょうか。
そうすれば、どんどん自分の個性にピッタリ合った自分専用の幸せに近づいていくはずですし、おそらくそういう人生のほうが、今よりもだいぶ生きやすくなるのではないかと思います。
〇浄化系について
次は「浄化系」についてです。
実はポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークの浄化系と、ネガティブなエネルギーを小さくするワークの浄化系※は、「見る視点が違うだけで同じもの」を指しています。(※詳細はこちら→ネガティブなエネルギーを意識的に爆発させるワークhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#3)
例えば、浄化系ワークに取り組むことで心や身体が軽くなり、ネガティブな気持ちのエネルギーレベルが「10 → 5」になったとします。
これはネガティブレベルが「下がった」と表現することもできますが、気持ちがラクになったり、身体が軽くなるという実感や体感に注目すると、ポジティブなエネルギーが「大きくなった」と表現することもできます。
例えはあまり良くないかもしれませんが、「100万円」あった借金をがんばって「50万円」に減らした人がいたとして、借金が無い人には「まだ50万あるじゃん」と見えるかもしれませんが、本人からすればこれまでより明らかにポジティブな方向に進んでいるわけです。
ですので、今後、浄化系のワークに取り組む時は、「ネガティブなエネルギーが減ったぶん、相対的に、どんどんポジティブなエネルギーが大きくなっていく」と考えてください。
こういう認識を持つことって、目に見えないエネルギーの世界を攻略していく上でめちゃくちゃ重要なのです。
なぜなら、なぜか目に見えない世界では、「物事をどんなふうに認識するかで、起こる現象が変わってしまう傾向がある」からです。
つまり、浄化ワークを「ネガティブを減らすためだけのもの」と捉えている人と、「ネガティブを減らし、ポジティブを増やすもの」捉えている人に起こる現象はだいぶ違う可能性が高いということですね。
ですので、よりポジティブな現象を引き寄せたい人は、浄化が成功すると、ネガティブエネルギーが減ると同時に、ポジティブエネルギーも増加すると考えてみてくださいね。
ちなみに、「認識によって起こる現象が変わる」という話は、次に解説する価値観を書き換えることで、世界の見え方、感じ方が変わるという話ともつながってきます。
〇書き換え系について
では次に、書き換え系について解説していきます。
「価値観を書き換える」ことで、ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくしようとするワークなので、書き換え系と呼んでいます。
このワークの強みは、自分が今経験している現象や置かれている環境が一切変わらなくても、「価値観さえ書き換えてしまえば、実感としての幸福度を急激に高めることができる」というところです。
例えば、自分ではずっとコンプレックスだと思っていたことを、信頼している人から「むしろそこがあなたの強みだと思うよ」と言われて急に自信がつくとか。
苦手意識を持っていたタレントさんのYouTubeの動画をたまたま見たら、意外と自分の価値観と似ていることを知って、そこからファンになったりなど。
そういうことってけっこうありますよね。
価値観が書き換わることで、世界の見え方や感じ方が大きく変わるのは、おそらく価値観が「メガネ」みたいなものだからだと思うのです。
例えば、「価値観が書き換わる= メガネが新しくなる」みたいに捉えると、世の中の見え方や感じ方が突然変わることも納得しやすくなるのではないでしょうか。
〇メガネ(価値観)選びは慎重に
「あなたが今かけているメガネ(価値観)は、自分で選んだものですか?」
「そのメガネは本当にあなたに合っていますか?」
突然そんな抽象的な質問されても、どう答えていいかわかりませんよね・・
でも僕の印象では、かなり多くの人が、親や世間などからもらった「借り物のメガネ」をつけているように感じるのです。
当然それは、自分の性質にピッタリ合った、「自分専用のメガネ(価値観)」とはほど遠いものなので、その違和感からくるストレスが原因で、漠然とした生きづらさを感じている人も少なくないように見えます・・
どんなメガネを選ぶのも個人の自由ですが、いつも心が重くて、しょっちゅうネガティブな気持ちになっているとしたら、もしかするとそれは選んだメガネ(価値観)に問題があるかもしれません。
心当たりがある人は、今後はもっと、かけ心地がよくて自分にピッタリ合った、幸福度を高くしてくれるようなメガネ(価値観)を選ぶように心がけてみてはいかがでしょうか。
とはいえ・・
星の数ほどある価値観の中から自分に合ったものを探すのは大変なことなので、これからこのメルマガを通じて、世界の見え方や感じ方がポジティブに書き換わるような、いろいろなタイプのメガネ(価値観)について紹介していきたいと思います。
ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方を知って、自分の性質にピッタリ合った「自分専用の幸せ」に近づきましょう
以前の記事でこんなことを書きました。
これだけ価値観が多様化して、幸せの形も、幸せになる方法も人によってまったく異なる現代においては、それぞれが自分の性質に合った、「自分専用の幸せ」を見つけることが、幸福度を高めるための必須条件になってしまいました。
そして、自分専用の幸せという宝箱を探す際、コンパス(方位磁石)の役割を果たすのが「自分の気持ち」なのです。
同じ指紋を持った人がいないように、同じ気持ちを持った人もいません。
あなたの気持ちは、世界であなただけしか持っていないユニークな個性ですから、その気持ちに従えば従うほど、あなたの個性が人生に反映され、「あなたによる、あなたのための人生。つまり自分純度100%の人生」に近づいていきます。
ですので、生きづらさを感じている人は、親や世間に人生のハンドルを渡すのではなく、自分の気持ちのコンパスが心地よい、ラク、楽しい!と反応するコトやモノ、考え方や価値観などを意識的に選択するようにしてみてはいかがでしょうか。
「自分専用の幸せ」を見つけるためには、自分の気持ちとじっくり向き合い、「私はどんな時に幸せを感じて、何が私を不幸にしているのだろう」ということをていねいに「感じとっていく」必要があります。
そしてその感覚を頼りに、できるだけ自分の気持ちがポジティブになることや、ネガティブな気持ちがラクになるような物事を中心に選んでいく。
それができれば、実感としての幸福度は間違いなく上がっていくはずです。
しかし、これがなかなか難しいのです・・
なぜなら、頭で損か得かを考える生き方に慣れ過ぎてしまっている現代人は、「直感や物事を感じとる能力が低下してしまっている人が多い」からです。
ためしに「自分の気持ちがわからない」とか「やりたいことがわからない」というキーワードで検索してみたのですが、数千万件以上のページがヒットして驚きました・・
現代人の「感じとる力」は、想像以上のスピードで失われていっているのかもしれませんね・・
ということで今回は、自分の気持ちを感じることが苦手な人にもできるだけ伝わるように、「自分とエネルギー的に相性が良さそうな物事を選び取る方法」について解説していきたいと思います。
〇エネルギー的な相性の良し悪しを判断する場所はハート(胸)
結論からいうと、目に見えないエネルギーを感じ取るセンサーは「胸(胸の中央)」にあります。(人によっては、少し下の「みぞおち」あたりのほうが感じやすいケースもある)
ヨーガ的な文脈では、ハートチャクラ(またはアナーハタ・チャクラ)と呼ばれたり、気功的な文脈では中丹田と呼ばれるポイントです。
嫌なことがあった時や恋をした時に「胸のあたりが苦しくなる」ことがありますが、その場所だと思ってください。
スピリチュアルの世界では、「ハートを開く」とか「ハートで感じる」といった言葉をよく使うようですが、このセンサーを毎日使っていくと、ハートチャクラ・中丹田がどんどん活性化されていきます。
すると、何かを判断する時、その対象が自分に合うのか合わないのか、ポジティブなエネルギーを活性化させてくれるものなのか、それともネガティブなエネルギーを活性化させてしまうものなのかを判断しやすくなっていきます。
また、目に見えないエネルギーに対する感受性が高まっていくので、人からの愛情や、「風が気持ちいいな」といった小さな幸せにも、喜びを感じやすくなったりする(幸福度が高くなる)傾向があります。
〇ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方
まずはこちら↓の画像をご覧ください。
画像を見ると「赤い丸」と「青い丸」を確認できると思います。
胸の中央「赤い丸」が、自分の本当の気持ちや、目に見えないエネルギーを感じるためのハートセンサーです。
そして、胸の前の空間にある「青い丸」は何かというと、レジの「スキャナー」みたいなものだと考えてみてください。
コンビニなどで商品に「ピッ」と当てるやつのことですね。
つまり、「赤い丸」ハートセンサーは、レジ本体の値段が表示される場所みたいなものです。(スキャンしたものの反応がエネルギー的に表れる部分)
では早速、ハートセンサーとスキャナーの使い方を解説していきますね。
まず基本をおさえていきましょう。
〇ステップ1
自分とのエネルギー的な相性を調べたい対象を、青い丸=胸の前の空間のあたりに「手で持ってくる」か「目で見る」
また、対象が抽象的なものだったり、直接触ったり目で確認することが難しい場合は、胸の前の空間に「対象をイメージする」
胸の前に持ってきたり、目で見たり、胸の前の空間にイメージすることが、レジで例えると、スキャナーを商品ピッと当てるステップとなります。
〇ステップ2
対象をスキャンしたら、意識を胸の中央あたりにある「赤い丸=ハートセンサー」に移し、どんな「身体的反応」が起こっているかを観察する。
反応を胸の表面付近で感じる人もいれば、胸の奥のほうで感じる人もいますが、これはどちらでもかまいません。強く感じるほうを観察してください。
なんとなくイメージできたでしょうか。
この続きはまた次回書きますが、それまでに遊び感覚で、いろんなものをスキャンして、ハートセンサーの反応を観察してみてください。
胸が開いて、呼吸がラクになる場合もあれば、胸がつまって、呼吸が苦しくなる時もあると思いますが、今回は良い悪いのジャッジは横において、とにかくこの感覚に慣れるようにしてみてください。
最初のうちは、胸の感覚を意識してもよくわからないかもしれませんが、何事も繰り返すうちにコツをつかんでいくものなので、ピンときた人はいろいろためしてみてください。
例えば、こんな風に遊んでみると面白いかもしれません。
・コンビニなどで、何を食べるか何を飲むか悩んだ時に、候補を胸の前に持ってきて、胸の身体感覚を観察してみる
・外食の時、メニュー選びで悩んだら、候補を目で見ながら胸の身体感覚を観察してみる
・昔旅行で行った、大好きな場所を胸の前にイメージして胸の身体感覚を観察してみる
・テレビを観ている時やネットで記事を読んでいる時に胸の身体感覚を観察してみる
・好きな人、嫌いな人を胸の前にイメージして胸の身体感覚を観察してみる
遊び方は無限です。
いろいろとためしてみてくださいね。
ポジティブな反応の例、ネガティブな反応の例
前回からの続きです。
ハートセンサーとスキャナーの感覚、多少は感じることができたでしょうか。
はじめのうちはハート(胸の中央)に生じる身体感覚をつかみづらかった人もいるかと思いますが、慣れるまではそんなものなので全然大丈夫ですからね。
こういうエネルギーワークの練習は、頭に知識を詰め込むお勉強とはまったく違うもので、どちらかというと自転車や水泳の練習に近いものがあります。
要は「身体でだんだん覚えていくもの」なんですね。
いつのまにか自転車に乗れるようになったり、泳げるようになるのと同じで、続けていくうちに身体がコツをつかんでいってくれるはずですので、ピンと来た人は是非これからも、ハートセンサーを日常のいろいろな場面で使って、自分の気持ちに向き合うクセを付けていってください。
さて。
日常的にハートセンサーに意識を向けるようになってくると、さまざまなタイプのエネルギー的な反応が、胸のあたりの身体感覚として生じていることに気付く人が増えていくと思います。
そうすると「この感覚をどう捉えればいいのだろう・・」と感じる場面も出てくるかと思いますので、参考までによく起こる反応と一般的な捉え方についてお伝えしておきます。
〇ポジティブな反応である可能性が高い例
呼吸がラクになる感じ
胸のあたりが開く感じ
胸のあたりがじんわり温かくなる感じ
胸のあたりの筋肉がゆるんで、リラックスする感じ
また、スキャンした対象のエネルギーを、もっと「抽象的な印象」として読み取るタイプの人場合は、胸の周辺に「軽い感じ、明るい感じ、やわらかい感じ、整っている感じ、爽やかな感じ」などが出てくることもあります。
〇ネガティブな反応である可能性が高い例
呼吸が苦しくなる感じ
胸のあたりがつまる感じ
胸のあたりが固まる感じ
胸の辺りが痛くなる感じ
胸のあたりの筋肉が緊張して、首や肩も固くなる感じ
(人によっては、胸より少し下の「みぞおち」あたりに反応が出るケースもある)
また、抽象的な印象を読み取るタイプの人の場合は、「重い感じ、暗い感じ、固い感じ、歪んだ感じ」などが出てくることがあります。
ということで、よくある一般的な捉え方の例を挙げてみました。
これ以外にも、人それぞれいろいろな感じ方があるでしょうし、その感覚をポジティブなものと捉えるか、ネガティブなものと捉えるかも、本来はあなたの自由です。
ですので、ここで挙げた例は、あくまでも参考程度に受け取っていただいて「この胸の感覚は、たぶんこういうことだと思う」という、自分なりの解釈が出てきた場合は、そちらを採用することをおすすめします。
〇ネガティブな反応しか出なかった場合どうするか
いくつかの候補をスキャンしてみて(胸の前に対象を持ってくる、目で見る、胸の前で対象をイメージする)明らかに一つだけポジティブな反応があった場合は、素直にそれを選べばいいと思います。
ただ、どの候補もネガティブな反応だった場合は、その中からできるだけ「胸に生じたネガティブな感覚の度合いが小さいもの」を選ぶことをおすすめします。
これは決して消極的な選択ではありません。
「キモチイヤシ(仮)」は、ポジティブな気持ちのエネルギーを大きくするワークと、ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくするワークによって、多角的に総合的に幸福度を高めようとするメソッドですからね。
ネガティブな気持ちのエネルギーを小さくしようとしている時点で、それは十分ポジティブな行為だと考えてください。
生きていると、どの選択肢もあまり気が進まなくて「どうすればいいのだろう・・」と悩むことって結構あります。
そういうケースの場合、候補となる選択肢の全てがネガティブな反応を示すことも珍しくありません。
しかし、重要なのはそこで落ち込むことではなく、その選択肢の中で、少しでも気持ちがラクになるもの(ネガティブな反応が小さいもの)を選ぼうとするたくましさ、図太さだと思うのです。
どうせ苦しい選択肢しかないなら、少しでも生きやすくなるほうを選びましょう。
それは地に足がついた現実的な作戦ですし、自分の気持ちを大切にしようとするとてもポジティブな行為だと思うのですが、あなたはどう感じますか?
ハートの感覚を観察する習慣が引き寄せてくれる(かもしれない)メリットあれこれ
以前の記事でこんなことを書きました。
これだけ価値観が多様化して、幸せの形も、幸せになる方法も人によってまったく異なる現代においては、それぞれが自分の性質に合った、「自分専用の幸せ」を見つけることが、幸福度を高めるための必須条件になってしまいました。
そして、自分専用の幸せという宝箱を探す際、コンパス(方位磁石)の役割を果たすのが「自分の気持ち」なのです。
そして、自分の気持ちを感じ取るための方法としてご紹介したのが「ハートセンサー」でした。
毎日のようにハートセンサーを使うワークを続けていくと「感じとる力や直感」の精度がどんどん高まっていきます。
すると「これは自分には合わないな、こっちのほうが自分に合いそうだな」とか「これは心地悪い、こっちは心地いい」ということが呼吸や胸の状態を通してはっきり感じるようになっていきます。
そういうハートに生じる身体感覚を参考にして、生き方を選択できるようになってくると人生は大きく変わっていきます。
〇ハートの感覚を参考にすることで得られるメリット
・ヒーリングが起こり心と身体が元気になる
ハートの感覚と向き合う生き方は、「自分の本当の気持ちを大切にする生き方」と言えます。
そして実は、「自分を大切にするという行為と、自分で自分の心と身体をヒーリングするという行為は同義」なのです。
ですので、それを続けていくことで、ポジティブな気持ちのエネルギーが活性化され、心身ともに元気になっていく傾向があります。
極端は話、ハートに生じる反応を一切無視して、まったく行動に反映させなかったとしても、呼吸の浅さや胸の苦しさを観察するという行為さえ続けていれば、それは自分の気持ちとちゃんと向き合っていることになります。
ですので、なかなか行動に移すことができなかったとしても、できるだけハートの反応を観察してあげることをおすすめします。
「私のハートはこういうことが気持ちいいんだな。これは苦手なんだな・・」という自分の本音に気付いてあげるだけでも、十分に「自分の気持ちを大切にするヒーリング」としての効果が見込めるはずですよ。
・自己肯定感が高まる
子育ての中でもよく言われることですが、あまりにも親が子どもをサポートしすぎると、自分で考え、決断する力が育ちづらくなる傾向があるようです。
そういう子でも、自主的に決断しないといけない環境に入ることで、責任感や自信を取り戻せる場合があります。
これは子どもに限ったことではなく、大人も同じだと思います。
世間や他人に人生のハンドルを渡すのでなく「自分のハートの感覚に従って、自分の意思で選択する」ことを習慣にしていけば、自然と自信がついていき、自己肯定感も高まっていくはずです。
・自信を持って物事を選択できるようになる
ネットの通販で写真と口コミだけで商品を買う場合と、写真を見た時に、呼吸や胸がどう反応するかを観察し、ハートが喜んでいることを確認した上で買う場合では、自分の決断に対する自信の持ち方が大きく違ってきます。
身体がこっちを好んでいるという実感があるので、ハートで感じて選んだほうが、どんなこともある程度自信を持って選択できるようになるのです。
・情報に振り回されなくなっていく、後悔が少なくなる
では、ネットの口コミや人気があるかないかなど、頭で考えて選ぶ場合はどうでしょう。
おそらく、何が正しいのかわからなくなって、いろんな情報に振り回されて疲れてしまったり・・
選んだ後も、他にもっと良いものがあったんじゃないか・・と不安になったり、やっぱりあれにしておけばよかった・・なんて後悔してしまうことも少なくないのではないでしょうか。
物事を選ぶ時に「自分の実感を基準にする」と、世間や他人が押し付けてくる情報や価値観に振り回されることが激減します。
なぜなら、いくら世間で人気があることでも、それをスキャンした時に、呼吸が浅くなったり、胸が苦しくなるとしたら、「これは私には合わないな」とはっきりわかるからです。
逆に、他の人が見向きもしないようなものでも、「私にとってはこれが心地いい」という判断もだんだんできるようになっていきます。
このように、自分の実感を基準にした生き方に慣れていくと、余計な情報に振り回されずらくなりますし、「自分の感覚で選んだ」という強い実感があるので、後悔することも減るはずです。
(関連記事→依存的な人、自信が無い人の多くが、自分の行動に責任を持てない(持たない)理由 https://kikuchiyablog.com/amae)
もう情報に振り回されるのは疲れた・・と思っている人や、自分らしい生き方に興味がある人、人生の後悔を減らしたい人は、少しずつハート(胸の中心)で感じる練習をはじめてみてはいかがでしょうか。
先ほどもお伝えしたように、仮にハートの反応に従った行動ができなかったとしても、「ハートを観察すること自体がヒーリングになります」ので、気軽に取り組んでみてくださいね。
幸せはどこにあるのか?自分にピッタリ合った自分専用の幸せの探し方について
今回は「幸せ」というテーマについて考えていきたいと思います。
「人は幸せになるために生まれてくる」という言葉があるくらいなので、おそらくほぼすべての人が「幸せになりたい」という想いを持っているのではないでしょうか。
ただ、幸せは姿かたちを持たない抽象的なものです。
なんとなく幸せになりたいと望んでいるだけだと、何が欲しいのか自分でもよくわからないまま「とにかく何か欲しい!」と言っているようなものなので・・
もっと具体的に幸せ(目的地)をイメージできたほうが、本物の幸せを見つけられる可能性が高くなるのではないかと思います。
とはいえ、一から自分でイメージを作り上げることはなかなか大変だと思いますので、参考までに僕が考える幸せついてお伝えしていきますね。
〇幸せは炎のようなもの
僕の中の幸せのイメージは、心の中で燃え上がる「炎」のようなものだと思っています。(メラメラしたやつではなく、やわらかくてやさしい感じの炎です)
幸せを感じている時は、心が温かくなり、ネガティブな気持ちのエネルギーは浄化されます。そして、血流が良くなって身体的にもポジティブな状態になります。
もしも、温かな幸せの炎をずっと心に灯し続けることができたとしたら、あらゆる悩みや身体の問題をあっという間に燃やしつくすことができるはずです。
幸せを感じるという現象には、それくらい強烈な力が宿っていると思っています。
〇幸せはどこにあるのか?
欲しいものを手に入れるためには、それがどこにあるのかを知る必要があります。
幸せも同じで、それがどこにあるのかを知っておかないと、なかなか見つけることができなくなってしまいますからね・・
では幸せってどこにあるのでしょう。
答えはとても簡単です。
当たり前ですが「心の中」にあります。
「ああ幸せ~」という気持ち、実感は心の中だけに存在しているものです。
ですので、いくら自分の外側を探しても幸せを見つけることはできません。
しかし、なぜか幸せは「自分の外側」にあると信じこみ、いつも外側の世界に気を取られている人が多いようです・・
重要なことなので繰り返しますが、幸せは自分の外側にはありません。
「自分の内側(心)とじっくり向き合った人だけが、自分に合った本当の幸せを見つけられる」のだと思います。
〇自分の性質にピッタリ合った自分専用の幸せの探し方
幸せは自分の心の中にあります。
ですので幸せを見つけたい人は、自分の内側に意識を向けてみましょう。
さて、ここで「ハートセンサー(胸の中心)」の出番です。(詳細はこちらをご覧ください→ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方についてhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#6)
自分にとって「本当の幸せとはなんなのか?」を知りたい人は、是非ハートセンサーを使うワークによって、少しずつ自分の心を観察する習慣を身につけていってみてください。
すると、どんなことをしている時に、幸せの炎が心の中で燃え上がっているのかが、呼吸や胸の状態を通してだんだんわかってくるようになっていきます。
具体的には、以下のような反応が現れている時に、その対象があなたにとって、本当の幸せを運んできてくれるものである可能性が高いはずです。
呼吸がラクになる感じ
胸のあたりが開く感じ
胸のあたりがじんわり温かくなる感じ
胸のあたりの筋肉がゆるんで、リラックスする感じ
また、スキャンした対象のエネルギーを、もっと「抽象的な印象」として読み取るタイプの人場合は、胸の周辺に「軽い感じ、明るい感じ、やわらかい感じ、整っている感じ、爽やかな感じ」などが出てくることもあります。
こういったハートに生じる身体感覚を参考にしていくと、幸せの炎を効率よく燃やしてくれる「着火剤」がどんなものなのかがだんだんわかってくるようになってきます。
自分と相性が合う着火剤の種類を知っていると、実感としての幸福度はどんどん高まっていきます。
〇幸せの炎の着火剤とは
人によって幸せの炎を大きくしてくれる「着火剤」の種類はまったく違います。
例えば。
趣味に没頭している時が幸せ(趣味が着火剤)
美味しいものを食べている時が幸せ(美味しい食事が着火剤)
お風呂でリラックスしている時が幸せ(お風呂が着火剤)
自然に触れている時が幸せ(自然が着火剤)
家族や友人と過ごしてる時が幸せ(家族や友人との良好な関係が着火剤)
旅行している時が幸せ(旅行が着火剤)
映画、本、ドラマ、アニメなどに触れているが幸せ(いろいろなエンターテインメントが着火剤)
唄ってる時や踊ってる時が幸せ(歌やダンスが着火剤)
瞑想している時が幸せ(瞑想が着火剤)
など千差万別です。
着火剤は、「心の中に存在している幸せの炎を一時的に大きく強くしてくれるもの」ですが、人によって効果が出るものは違います。
例えば、Aさんにとっての着火剤は「美味しいごはん」であっても、食に興味がないBさんの着火剤にはなりません。
つまり、「自分の性質に合わない着火剤をいくら集めても、幸せを感じることは難しい」ということですね。
例えば僕の場合、友達から「半年待ちが当たり前の人気レストランの予約が取れたから一緒に行こうよ!」と言われてもまったく幸せを感じません。
そういうことに全く興味がないからです。
それなら「銭湯に行ってから、帰りに近所の居酒屋でキンキンに冷えたビールでも飲もうよ!」と言われたほうが100倍幸せを感じます。
それは、僕にとって銭湯とビールは幸せの炎を大きくしてくれる着火剤だからです。
自分が「どんな時に幸せを感じるのか」がわかりさえすれば、その幸せを運んできてくれる着火剤を集めればいいだけですから、理論上、ある程度の幸せを感じながら生きることは全然難しい話ではありません。
では、なぜそのシンプルなことがなかなかできないのかというと、おそらく多くの人は「順番を間違えてしまっているから」だと思うのです。
〇先に欲しいもの(自分にとっての幸せ)を特定することの重要性
通常の買い物であれば、ボーダー柄のTシャツが欲しいとか、大根と玉ねぎを買おうとか、予め「こういう物が欲しい」というイメージがあった上でそれを探しますよね。
「欲しいものがわかっているからこそ、簡単にそれを見つけることができる」わけです。
しかし、幸せという抽象的で形がないものになったとたん、順番がこんがらがってしまっている人が多い気がします。
「自分がどんな時に幸せを感じるのか=自分が欲している幸せ(目的地)」が曖昧なのに、漠然と幸せを追い求めてしまっているように思えるのです。
これは、「何かが欲しいという気持ちがあることは間違いないけれど、具体的に何が欲しいのかはわからない・・」という迷走状態なので、よっぽど運の良い人でない限りは、自分に合った幸せと巡り合える可能性はかなり低いのではないかと思うのです・・
ということで。
効率よく幸福度を高めるためにも、大雑把でもいいので、まず先に自分の幸せの炎を大きくしてくれるものを特定してみてはどうでしょうか?
というのが僕の提案です。
自分の幸せポイントがわかってくると人生は相当ラクになるはずですよ!
具体例としては、「どうやら私は自然に触れている時に幸せを感じてるっぽい」ということに気付けたとしますよね。
そうすると、どうすればもっと幸せを大きくできるかがイメージしやすくなってきます。
例えば・・
自然が豊かな土地に移り住む。
キャンプや山登りに行く。
自宅で植物を育てたり家庭菜園をやってみる。
自然栽培の野菜を食べる。
といったことが、自分の幸せを増大させる可能性が高いということが、簡単に想像できるはずです。
それが金銭的に可能かどうかとか、行動に移せるかどうかとか、そういうことはとりあえずどうでもいいのです。
重要なのは、「どうすれば幸せに近づくことができるかイメージできている」ということですからね。
「この着火剤があれば、自分は幸せを感じる」とイメージできれば、あとはその着火剤の集め方を考え、少しずつ行動していけばいいだけです。
自分の幸せポイントに気づくことができるかどうかが、その後の人生を大きく左右するのです。
僕の場合、目に見えない世界の探究。南の島。風が気持ちいい場所。銭湯。ビール。本。映画。アニメ。ドラマ。家族団らん。友達とのバーベキュー。キャンプ・・など。
どんな着火剤が自分の幸せの炎を大きくしてくれるのかある程度わかっているのでとてもラクです。
そういうものがより多くなるように生きれば、自然と幸せが大きくなっていく可能性が高いですからね。
人生設計がとてもシンプルになるので、あまり悩みませんし(裏を返すと決断力が上がる)、未来に対する不安もかなり少ないほうだと思います。
〇まとめ
ということで、自分がどんなことに幸せを感じているのかを観察してみてください。
まず先に、自分の幸せポイントをつかむことが最も重要なコツですからね。
それさえわかってくれば、あとはその幸せの炎を大きくする着火剤を探していくだけで、実感としての幸福度はどんどん高まっていくはずです。
幸せポイントを見つけるコツは、頭で考えるのでなく、ハート(胸の中心)の反応を観察することです。
呼吸がラクになる感じ
胸のあたりが開く感じ
胸のあたりがじんわり温かくなる感じ
胸のあたりの筋肉がゆるんで、リラックスする感じ
また、スキャンした対象のエネルギーを、もっと「抽象的な印象」として読み取るタイプの人場合は、胸の周辺に「軽い感じ、明るい感じ、やわらかい感じ、整っている感じ、爽やかな感じ」などが出てくることもあります。
などの反応を参考に、心の底から自分の気持ち・ハートが喜ぶことを探してみてください。
(詳細はこちらをご覧ください→ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方についてhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#6)
胸の身体感覚や呼吸を通じて、自分の気持ちを向き合う習慣がついていけば、自然と自分に合った幸せが見つかるはずですよ。
ユニークさと自由と幸せの関係
娘が三歳くらいの時に、スーパーでおまけ付きのアンパンマンのお菓子を買ったことがありました。
たしか四種類の中から好きなキャラクターを選べる感じだったのですが、娘が持ってきたのは一番地味で名前もよくわからないようなキャラでした。
アンパンマンとかドキンちゃんとか、メインのキャラにいかない辺りが自由だなと思い、なんとなく笑ってしまいました。
一般的に、ある時期までの子どもたちは、物事をハートで捉え、その時の気持ちや感覚に従って素直に行動する傾向があります。
余計なしがらみに縛られず、心のままに話し、行動する彼ら彼女らは、「とてもユニークで自由」に見えます。
〇ユニークな自分を取り戻す
「キモチイヤシ」では、自分の気持ちや感覚をコンパスにして生きることを提案していますが、そういう生き方は人をユニークにしていきます。
その理由はこちら↓
あなたの気持ちは、世界であなただけしか持っていないユニークな個性ですから、その気持ちに従えば従うほど、あなたの個性が人生に反映され、「あなたによる、あなたのための人生。つまり自分純度100%の人生」に近づいていきます。
気持ちや感覚はその人独自のもので、世界に一つだけしかない激レアなものです。
世界に〇台しかない高級車や、〇個しかないブランドバッグを持っていなくても、自分の気持ちや感覚に素直に従って生きることができれば、それだけで人は、自然とユニークでレアな人間に近づいていくことができます。
これはそんなに特別なことではなく、大抵の子どもは、意識せずともふつうにそういう生き方をしています。
あなたも僕も、子どもの頃はふつうにできていたことです。
さすがにその頃に戻ることはできませんが、可能な限り、自分の気持ちや感覚に従うようにしていけば、少しずつ「本来の自分らしさ=ユニークな自分」を取り戻していくことはできます。
そして、ユニークさを取り戻すことは、実感としての人生の自由度(幸福度)を高めるためには絶対必要なプロセスだと考えています。
〇ユニークになればなるほど人生は自由になっていく
僕は「ユニークな人=自由に生きている人」という印象があるのですが、あなたはどう思いますか?
子どもが良い例ですが、あの人たちは大抵みんなユニークで自由です。
おそらく人は、「ユニークになればなるほど、自由に生きられるようになっていく」のだと思います。
逆に言えば、ユニークの反対、つまり一般化していく方向にいけばいくほど、人生が不自由になっていく傾向があるように思います。
実際、一般的な価値基準である、常識や世間体、他人の評価などに縛られている人の多くが「自分は不自由だ・・」と感じている傾向があります。
一方で、変わった価値基準かもしれませんが、自分の気持ちや感覚など、内側から湧き上がる情報やエネルギーを基準にして生きている人は、なんとなく自由な雰囲気をまとっている人が多い傾向があるように思います。
〇自由度と幸福度の関係
では、ちょっと視点を変えて、今度は自由度と幸福度の関係について考えてみます。
自由な人生と不自由な人生、どちらのほうが幸せそうなイメージがありますか?
考えるまでもなく自由な人生ですよね。
一般論として、実感としての自由度が高い人のほうが、幸福度も高い傾向があることは間違いないと思います。
ということは、幸福度を高めるためには、自由に生きられるようになる必要があるということになりますよね。
めちゃくちゃ不自由を感じたまま、「ああ幸せ~」とはなかなか思えないですからね・・
では、どうすれば自由に生きられるのか?
既に答えは出てますよね。
そうです。ユニークな自分を取り戻していくことが、自由な人生を作っていくのです。
ユニークな人は自由な人が多いですからね。
そしてさらに掘り下げると、ユニークに生きる秘訣が「自分の気持ちや感覚に従うこと」なのです。
なぜなら、あなたの気持ちや感覚は、世界であなただけしか持っていないユニークなものだからです。
ユニークなものに従うのですから、ユニークな人生になるのは当然です。
人生がユニークになると、実感としての自由度が高まり、自由を感じられるようになると幸福度も高くなります。
願いや目的を実現しやすくするための「感じる」と「考える」の使い分け方
一般的なイメージとして、いろいろなことを考えすぎてしまう人よりも、ある程度自分の感覚を信じて行動できる人のほうが人生がうまくいきやすいという印象がある気がします。
たしかにそういう傾向はありますが、感覚的に生きればすべてうまくいくかというと、さすがにそれは難しいと思います。
重要なのはバランスではないでしょうか。
頭で考え過ぎるのでもなく、感覚に頼りすぎるのでもなく、状況に応じて、考える力と感じる力をバランスよく使うことができる人は、人生がうまくいっている場合が多い印象があります。
物事を客観的に考えることもできて、なおかつ常識や固定観念に縛られ過ぎず、自分の感覚に従う勇気と自由さも持ち合わせている。
そんな自分を想像してみてください。
いろいろうまくいきそうな感じがしてきませんか?
ということで今回は、「考える力」と「感じる力」を使い分けていくコツについて考えていきたいと思います。
〇考えるとは
僕の中で「考える」は「分析に近いもの」だと思っています。
どんな分析かというと、「メリット(幸せ)を最大化するため、もしくはデメリット(不幸)は最小化するための分析」です。
電車とバス、どちらのほうが早く目的地に着くか考える
どうすれば人から好かれるか、もしくは嫌われないかを考える
和食と洋食、どちらのランチのほうが満足度が高そうか考える
正直に伝えるべきか、やさしい嘘をつくべきか考える
転職すべきか今の会社に残るべきか考える・・など。
僕らがどんな場面で考えているのかを観察してみると、多くの場合「自分にとって何が得で何が損かを客観的に分析したい時」だと思うのです。
損得勘定という言葉はあまり良い意味では使われませんが、メリットとデメリットを冷静に論理的に考えることは、人生をより良い方向に進めるためには絶対に必要なことだと思います。
〇願いや目的をスムーズに実現させるためには「考える力」が必要
例えばある日、「めちゃくちゃ沖縄に行きたい!」と思ったとします。
ただ思うだけでは沖縄に行けないので、そこからは頭を使っていろいろなことを考える(分析する)必要があります。
どのサイトから予約するのがお得か?
どの日程が空いてそうか?
比較的リーズナブルでサービスが良さそうなホテルはどこか?
誰と一緒に行くのが楽しそうか?
食事はホテルで?外食?
どの会社でレンタカーを借りるか?
など、客観的にメリットとデメリットをじっくり分析したほうが、満足度の高い旅行になる可能性が高くなるはずです。
そういう意味では、「考える力(分析する力)」というものは、「これがしたい!」「こうなりたい!」という願いや目的をスムーズに実現させるための心強い武器と考えることができるのではないでしょうか。
〇「感じる力」と「考える力」の強みを活かす
その一方で、「考える力」ではどうにもできないこともあります。
それは「これがしたい!」「こうなりたい!」という願いや目的を決めることです。
そういう気持ちは心の中から自然と湧き上がってくるもので、それを捉えることができるのは「感じる力」のほうですからね。
「沖縄に行きたい!」という想いや衝動は、分析によって(考えることで)出てきたものではないですよね。
理由はわからないけれど「とにかく行きたい」わけですから、それは明らかに感覚的なもの(感じる力)です。
感覚的に生じた「これがしたい!」「こうなりたい!」という想いや衝動は、根拠がないぶん純粋で爆発力がありますが冷静さや計画性は皆無です・・
そこで活躍するのが「考える力」です。
感覚で捉えた願いや目的は、「沖縄旅行の日程はいつにするか?誰と行くか?」などの現実的な問題を分析することで、実現の可能性が飛躍的に高まっていきます。
人生が自然とポジティブな方向に展開していく時は、大抵そんな感じです。
感じる力によって、本当の願いや目的に気づく → それを形にするために考え行動する(してしまう)
という流れが自然と起きるのです。
つまり、自分の本当の願いや目的を掘り起こすための「感じる力」と、それを形にする「考える力」
それぞれの強みが活かされることで、願いや目的がスムーズに現実化していくということですね。
ですので、願いや目的を実現させる可能性を高めたいのであれば、両方の力をバランスよく活かしていくことが大切なのです。
〇現代人は考える力に頼りすぎている
とはいえ、たぶん両方の力をバランスよく活かせる人はあまり多くないのではないかと思います。
というのも、大抵の現代人は、「考える力」に偏りすぎているせいで、「感じる力」が弱くなっている傾向があるからです。
「頭でっかち」という言葉がありますが、まさにそんな感じで、すごくバランスが悪い感じになっちゃってるんですよね・・
感じることと考えることのバランスが偏っていると、本来なら「感じる力」を使うべき場面で、無理矢理、頭で考えて分析しようとしてしまう傾向があります。
例えば、「自分の気持ちがわからない」「やりたいことがわからない」といったキーワードで検索すると、数千万件以上のページがヒットするのですが、これなんかまさに象徴的な例だと思います。
「気持ち、やりたいこと」は自分の心の中にあるもので、それは明らかに感覚的に捉えるもののはずなのに、感じる力が劣化しているせいでそれに気づくことができない・・
それでもどうにかしたいということで、仕方なくネットの記事を参考に考えたり分析してしまう。
たぶんそういうことなのだと思います。
自分の気持ちややりたいこと以外にも、いくら考えてもわからないことは沢山あります。
幸せとは何か?
本当はどんな生き方がしたいのか?
本気でやりたいことは何か?
生まれてきた意味とは?
自分の使命は?天職は?
みたいな問いも同じです。
その答えは自分の心の中に存在してるものですからね。
こういった問いを立てることはとてもすばらしいことです。
でもその答えを求めて、沢山本を読んだり、自己啓発やスピリチュアルなどを勉強して一生懸命考えたとしても、腑に落ちる回答にたどりつくことはまず無理だと思います・・
〇魔法が有効な敵に対して、剣や槍などの物理攻撃だけで挑むのは明らかな戦略ミスだと思う
そもそも考える力と感じる力は、それぞれ「強みを発揮できるゲームの種類が違う」と思うのです。
「自分の外側」の世界にあるさまざまな情報をネットや本で集めたり、セミナーなどに参加して勉強する。
そして、集めた情報を分析しながら最適解を見つけようとするような情報戦、もしくは推理戦のようなゲームがあったとしたら、それは明らかに「考える力」が活かされる場面だと思います。
考える力は、損得を見極めたり、メリットを最大化したりデメリットを最小化しつつ、当たり障りのないちょうどいい感じの選択肢を分析するのが得意ですからね。
では、「自分の内側」の世界(心)に存在しているはずの、本当の願いや目的、心底やりたいこと、自分に合った自然な生き方など、抽象的で目に見えない宝物を発掘するゲームがあったとしたらどうでしょう。
もう少しこのゲームの特徴を説明すると・・
宝物がどこに隠されているかもわからず、探し方のマニュアルもない。
明確なルールもない。
というか、本当に見つかるかどうかの保証もない・・
これまで培った理屈や常識はもちろん。
損得、正解不正解、合理的不合理的などの二元論的な価値観はほとんど通用しない。
自分の心の中を探索するソロプレイ専用ゲームなので、他人のアドバイスはほとんど当てにならず、すべては自分の感覚と地道な積み重ね(レベル上げ)次第。
とまあ、大まかにこんな感じのゲームになるわけですが、どう考えても情報戦が得意な「考える力」だけでは、こんな抽象的で分析不能のゲームで結果を出すことはできそうにないですよね・・
明らかに、理屈や常識を超えられる「感じる力」を強化して挑んだほうが得策だと思うのです。
ロールプレイングゲームの中には、剣や槍などの物理攻撃が有効な敵や、目に見えない魔法攻撃が有効な敵がいたりしますが、敵の性質を見極めつつ、弱点を突く戦略を選ぶのがふつうです。
そのほうが合理的ですし、クリアできる可能性も高まりますしね。
そう考えると、情報を分析することで最適解に近づくゲームに向いている「考える力」を使って、まったく毛色の違う、自分の心の中に存在している宝を探すゲームに挑むということは明らかに戦略ミスといえるのではないでしょうか・・
例えるならそれは、魔法攻撃しか効かない敵に、無謀にも剣や槍だけで戦いを挑んでいるようなものだからです・・
真面目で一生懸命努力もしてるのに、なぜかあまり人生がうまくいかない・・という人の中には、知らず知らずの間に、考える力と感じる力の使いどころを間違えるという戦略ミスをしてしまっている人が少なくないような気がします。
今後のメルマガについて
メルマガの書き方をちょっと変えようと思っています。
ここ数カ月、「キモチイヤシ(仮)」についての記事を重点的に書いてきたのですが、毎回コンスタントに書くことに対してちょっと違和感が出てきちゃったんですよね・・
というのも、キモチイヤシの内容って、頭で考えて書いてるというよりは、心の深い層にまで意識を降ろして(ハート?潜在意識?魂?)掘り起こしてくるような感覚で書いてるものなので、ノッてる時はす~っと文章が出てくるんですけど、そうじゃない時は、インスピレーションが湧くまで瞑想状態でずっと待機・・みたいな感じになっちゃうんです。
それ自体とても貴重な訓練になってますし、大変ではあるけれど、それ以上に自分の意識が拡大してレベルアップしていく感覚が楽しいという気持ちなのですが。
毎回コンスタントに書いていくというよりも、自然と心の奥から書きたいことが湧き上がってきた時に書いたほうが自然かもな・・と思うようになったんです。
それと、記事を書く順番もあんまり気にしないで、その時に書きたいものを書くようにしようかな・・とも思っています。
これまでは、前回の記事の続きを書かなきゃ!みたいな感じで、なるべく順序を守るようにしていたのですが、なんかそれもちょっと不自然な感じがするんですよね。
頭で考えると、順番どおりに書くのはふつうのことなのですが、ハートに意識を向けてみると「もっと自由にその時に書きたいことを書きたい!」という感覚があるのです。
ですので、とりあえずのところは、書きたいことを書きたい順番で思いつくままに書かせていただきたいと思います。
とはいえ僕も、基本的には、順番どおりに書けたほうが気持ちがいいのです。
でもたまに、順番を守ることを意識しすぎて、それに気持ちが付いていかない時があるので、そういう時は、順番が飛ぶこともあるかもしれません。(たぶんそんなに多くないはないと思うのですが)
幸いなことに、今書いているキモチイヤシの記事は、キモチイヤシを体系化するプロセスをお見せしているもので、完成版ではないですしね。(ある程度の量の記事を書いて、キモチイヤシというメソッドの方向性が見えてきてから改めて体系化するつもりです)
まだ、メルマガのバックナンバーとしてまとめてあるだけで、正式なブログの記事にしているわけでもないので、ゆるい感じで書いていきたいなと思っております。
これからも、基本的にはキモチイヤシの記事を中心に書いていくつもりですが、気持ちが乗らない時は、全然関係ない内容の記事を書くこともあるでしょうし、もしかすると、何も書かない日もあるかもしれません。
それくらい適当なほうが気持ちよくメルマガを続けていけると思うからです。
大変ですけど、基本的に書くことは嫌いじゃないですしね。
まとまりのない感覚的な文章を書く回
タイトルどおり感覚的に文章を書いてみたいと思います。
さて。
目に見えない意識や心の世界に興味があり、二十代の前半くらいの時に、お坊さんになる道もありかなと思っていた時がありました。
修行という言葉は堅苦しくて好きじゃないのですが、なぜか目に見えない世界を探究したいという欲望がもともとあったのだと思います。
性格的に何かに縛られることが嫌いなので、どこかの宗派に入るとか、一つの教義だけに縛られるなんてむり・・ということで、結局はそういう道に進むことはありませんでしたが、今でも仏教の、瞑想や日々の行いを通して体感的に物事を悟っていこうとする実践的なスタイルはとてもリスペクトしています。
そのおかげか、僕の日常はヒーリングや瞑想などの実践を中心に、目に見えない世界について日々探究することがライフワークになっています。
幸いそれが仕事につながっていますが、仮に仕事がまったく無くなってお金にならなくても、おそらく僕は飽きずに探究を進めていくと思います。
お金にならないという程度の理由では、僕の好奇心は止まらないですからね(笑)
ちなみに僕は、好奇心とか楽しさとか、そういうちょっと子供っぽい理由で探求してるだけなので、徳を積みたいとか、立派な人になりたいとか、絶対感情を乱さない聖人のような人になりたいとか、そういうことには興味がありません。
そういうことを大切にしてる人を否定する気はないのですが、そういう方向性で目に見えない世界を探求するのって、なんとなく苦しくなっちゃうような気もするので、僕はこれからも気軽に好奇心に従って探求していきたいと思います。
文章で伝えることは難しいんですけど、少しずつ宇宙の本質、自分(人間)の本質などについて、頭ではなく体感的にエネルギー的に気づいていくという作業ってすごく楽しいんですよ。
僕の中では、目に見えない世界の探求は決して堅苦しい修行みたいなものでもないですし、コンプレックスや不安や孤独を紛らわすための麻酔薬でもなく、ゲーム感覚といいますか、単純に娯楽みたいなものなんですよね。
もちろん、本気だからこそ、なかなか進歩が実感できない時に悔しい思いをすることも多いですけど、それも含めてけっこう楽しいと思ってます。
ですので、どういう形になるかわかりませんけど、いつかそういうマニアックな話も発信していきたいなと思ってます。
すべてバランス次第
最近のメルマガの中で、「考える」と「感じる」を対比させた文章をいくつか書いてきました。(願いや目的を実現しやすくするための「感じる」と「考える」の使い分け方https://kikuchiyablog.com/backnumber#7)
現代人は物事を考え過ぎてしまう傾向があるので、基本的には、感じる力を強くしていったほうがいいという提案をしているのですが、これはあくまでも「バランスを取るため」であって、決して「考える力よりも感じる力のほうが重要ですよ」と言いたいわけではありません。
直感に従って生きていれば、それだけですべてうまくいくわけではないですし、考えに考え抜けばうまくいくわけでもありません。
大抵の場合、人生の波に乗れている人は、両方の力をうまく使っているものですしね。
東洋思想の中心的な概念として「陰陽思想」というものがありますが、この思想を無理矢理ひとことで表すとしたら「何事もバランスが大切ですよ」という言葉に集約されるのではないかと思います。
考えることも感じることもそうで、どちらの力もうまくバランスを取りながら使っていくことを重視するべきだと思うのです。
ただ・・現代人はあまりにも考えることに縛られている人が多いことは事実なので・・
大抵の人は、とりあえず感じる力を高めていくことを意識することでバランスが取れていくのではないかと思います。
(逆に、あまりにも精神世界、スピ系にどっぷりはまり込んでしまっている人の中には、頭を使ってふつうに考えたほうがいいのでは・・という感じの人も結構いるっぽいです。やっぱりバランスが重要ということですね)
感じる力を高める具体的な方法については、まずはこちらの記事を参考にしてもらって→ハート(胸)センサーとスキャナーの使い方についてhttps://kikuchiyablog.com/backnumber#6
その他の方法については、今後このメルマガで(気が向いた時に)送っていく予定ですので気長にお待ちください。
さて、さいごに、陰陽思想の重要なポイントを直感的に捉えられる素敵なYouTube動画を見つけましたのでURLを貼り付けておきますね。
これを観れば、バランスが大切という言葉の意味がなんとなく感じられるのではないかと思います。
※英語の動画なので、英語が苦手な人は字幕をつけてご覧ください。もちろん僕も字幕の力を借りました。
字幕設定がわからない方はこちら↓
https://support.google.com/youtube/answer/100078
心配事を現実化させないコツ
日本人は遺伝的に不安になりやすい傾向があると言われています。
ですので、しょっちゅういろんなことを心配してる・・という人もけっこう多いのではないでしょうか。
以前の記事の引用↓
あまり小難しい話になるのも嫌なので、ものすごくざっくりお伝えしていきたいと思いますが、「セロトニン」という、別名「幸せホルモン」と呼ばれる神経伝達物質をご存知ですか?
「幸せ」というポジティブな言葉が付くだけあって、このホルモンが脳の中から減ると不安になったり、気分が落ち込んだり、またはそれが転じて、イライラしやすくなる傾向があるとされています。
そして、この幸せホルモンの分泌量を左右している遺伝子が「セロトニントランスポーター」です。
この遺伝子にはいくつかの「型」が存在しており、どの型を持っているかによって、ある人は楽観的な性格になり(セロトニンの分泌量が多い)、ある人は不安を感じやすい性格になり(分泌量が少ない)、ある人はその中間の性格になる・・
という感じで、生まれつき性格の傾向がある程度決まっているそうです。ちなみに、セロトニン分泌量が多い遺伝子の型を保有している人、つまり前向きで楽観的な人がどれくらい存在しているかという割合は、国によっても全然違っていて
「アフリカ人 > アメリカ人 > アジア人」
の順でどんどん少なくなっていくそうです。まあたしかに、肌感覚的にもアジア人より、明らかにアメリカ人やアフリカ人のほうが楽観的な感じがしますよね。
調査によると、なんと日本人の「68.2%」が、セロトニン(幸せホルモン)の分泌量が少ない(不安を感じやすく悲観的)タイプのセロトニントランスポーター遺伝子を保有しているそうです。
ちなみに、日本人の中で、ストレスフルな状況でも比較的安定していられるような楽観的な人(セロトニンの分泌量が多いタイプの遺伝子を持つ人)の割合は、たったの「1.7%」しかいないそうです・・
100人中2人くらいって・・
個人的には、さすがにもっと多いんじゃないかと思うのですが、遺伝子レベルの話ではそういうことらしいのです。
というわけで、日本人は比較的心配性になりやすい傾向があるらしいのですが、目に見えないエネルギーの世界の力学から見ると、心配するという行為は、あんまりよろしくないことなのですね。
なぜなら、あらゆる現象は「意識すればするほど強化される傾向がある」からです。
「意識=水、現象=植物」と仮定するとわかりやすいと思うのですが、水によって植物が育つように、良くも悪くも「意識には現象を育てる力がある」んです。
例えば、身体のどこかに痛みがあったり、ストレス=心に痛みがあったとします。
そういった身体や心の痛みって、意識すればするほど、気にすれば気にするほどさらに痛みが増す傾向があります。
でも不思議なことに、身体や心の痛みを感じてる時に、急に上司とか友達から電話がかかってきたりすると、意識が電話に向かうので痛みはどこかに消えてしまったりします。
他にも、好きなことに集中してる時もあまり痛みを感じなくなるものですが、なんとなく心当たりがある人も多いのではないでしょうか。
つまり、痛みから意識を外せば痛みを感じづらくなるわけです。
ですので、あんまり心配事を意識し続けるのは避けたほうがいいんですね。
心配の対象がさらに強化されてしまうかもしれませんからね・・
とはいえ、こんなことを言っても「それができたら苦労しないよ・・」という感じだと思います。
心配しないようにするなんて無理ですもんね・・
じゃあどうすればいいのかというと、とりあえずのところは心配しちゃうことに関して、いったん開き直るといいますか、受け入れちゃうことをおすすめします。
自分の中のネガティブな性質に対して責めちゃうと、さらにネガティブになるだけですからね・・
心配性なのは遺伝子のせいだから仕方ない!と開き直ってしまうか、そのうちマシになるはず・・たぶん。くらいの感覚でいいと思います。
◯関連記事→ネガティブな自分を受け入れてあげると、逆に心がポジティブになる理由https://kikuchiyablog.com/backnumber#2
心配してしまうことは仕方ないとして、問題なのは心配の気持ちが湧き上がってきた時に、それをそのまま放置しないということです。
是非ためしてもらいたいのが、気分転換ならぬ「意識転換」です。
まあ気分転換とほとんど同じことなのですが、文字通り、心配してる対象以外のことに意識を向けるということですね。
意識を向ける対象はなんでもいいのですが、基本的には気分が良くなることが望ましいです。
美味しいものを食べたり、散歩に出たり、アロマの香りをかいだり、音楽を流したり、ゲームをやったり、映画やドラマをみたり、YouTubeをみたり、本を読んだりと、心地よく感じるものを選べばいいと思います。
これからは是非、心配の気持ちが現れたら反射的に、気分が良くなる物事に意識を転換する癖をつけるようにしてみてください。
それと繰り返しになりますが、心配しちゃうこと自体は、遺伝子的なことも絡んでるようなのであんまり責めないようにしてくださいね。
問題なのは、心配してしまうこと自体よりも、その気持ちをそのまま放置してしまうことですからね。
ちなみに、心配の気持ちが出ても「このままだと嫌なことを引き寄せちゃう!」みたいに恐れる必要はありません。
基本的にはそんなに簡単に現象化しないので安心してください。
とはいえ、何年間も何十年間も、何度も同じような心配をしているとなるとそれはまずいので、できるだけ意識を転換する癖をつけていくことをおすすめします。
心配事から意識を他に転換すれば、その心配事は現象化するための栄養を失い自然と枯れていきますからね。
キャンプのこと、好きという感覚のこと
父と妹と三人でキャンプに行ってきました。
昔から父はキャンプ好きで、小さな頃から夏も冬も季節に関係なく、いろんなキャンプ場に行く家庭でした。
その影響からかいつの間にか妹もキャンプ好きになっていて、今は月に二回くらい(父も月に一回くらい)行っているそうです。
僕もわりと好きなほうですが、僕の好きレベルは、自分で全部準備してまで行こうとは思わないレベルなので、今回のように都合が合った時にたまに参加する程度です。
ところで、You Tubeやアニメの影響か、一時期キャンプブームがあったのをご存知でしょうか。
「ソロキャンプ」という言葉も当たり前になり、僕らが子どもの頃から行っていた穴場のキャンプ場でさえ、明らかに人が増え。
以前はとても少なかった女性グループや若者グループ、前述したソロキャンパーたちなど、キャンプ場の客層が変わった時期があったそうです。(父妹談)
とはいえあらゆるブームに言えることですが、必ずブームというものは去っていくもので・・
最近はそういった雰囲気は落ち着いてきている感じがあるそうです。
そりゃあそうだよなぁ・・と思います。
だって、正直キャンプって相当面倒くさいことが多いですからね。
たぶん本当に好きな人しか続けるのが難しい趣味だと思います。
僕は子ども頃から何度もキャンプをしてきたのでよくわかるのですが、キャンプってけっこう大変なんですよ。
今は車も器具もレンタルすることもできるので、簡易的な方法もいろいろあるとは思うのですが、基本的には、車にテントやイス、テーブル、寝袋、敷物、食器、ランプ、クーラーボックス、食材、飲み物なんかを詰めて。
自分で運転して、キャンプ場に着いたらすぐにテントを設営して、暗くなる前に火を起こしたり食事の用意をして、虫対策をしながら食事をして・・
次の日は早く起きて超面倒くさい後片付けをして運転して。
帰ってきたらキャンプ用具を車から出して収納して、場合によっては用具のメンテナンスもして・・といった具合いで、とにかくガチのキャンプは面倒くさいことが多いわけです。
僕は正直面倒くさすぎてできないです・・
そこで父と妹に聞いてみました。
なんでこんなに面倒くさいことばっかなのに、そんなにしょっちゅうキャンプするの?と。
すると、めちゃくちゃ面倒くさいし大変だけど、なぜかわからないけど行ってしまう。
ということでした。
個人的にとても納得のいく答えでした。
本当に好きなことというものは、理由がよくわからないけど、なぜかやってしまうものですからね。
人だってそうです。
本当に好きな人は、その人のどういうとこが好きなのなんて聞かれてもわからないものです。
とにかく理由はよくわからないけど、なぜか一緒にいてしまう。
そういうものだと思うのです。
好きという感覚は理屈を超えてます。
面倒くさいとか、効率が悪いとか、大変とか、そういうデメリットを好きという感覚は簡単に凌駕してしまいます。
当たり前ですが考えてもわかるものではなく、それは「感じるもの」です。
ですので、感じる力が強くなると、なぜかやってしまうこと=好きなものやこと、人を見つけやすくなるはずです。
◯関連記事→願いや目的を実現しやすくするための「感じる」と「考える」の使い分け方https://kikuchiyablog.com/backnumber#7
キャンプからだいぶ話が広がって、何が言いたいかわからなくなってきました・・
とりあえずキャンプは面倒くさいことも多いけど僕は好きです。
自然の中で過ごすことで、心と身体が本来のリズムを取り戻せますし、それはかなり素晴らしい体験だと思ってます。
心が動作不良を起こす可能性は誰にでもあります
あまりにもつらいこと、嫌で仕方ないことを無理やり続けたり、長期間大きなストレスがかかりすぎると心にダメージが蓄積してしまって、さまざまなタイプの動作不良を起こす可能性があります。
心がフリーズしてしまったり、場合によっては壊れてしまうのです。
ふつうならそこまで行く手前の段階で、体調がおかしくなったり、いろんなことが億劫になったり、人付き合いを避けたいと思ったり、どうしても仕事を休まなければいけない状況に追い込まれたり、場合によっては辞めることになったり。
強制的に心を休ませようとする目に見えない世界の力学が働くはずなのですが、一生懸命すぎる人、真面目すぎる人、~すべき、~しなければならないという固定観念が強すぎる人、完璧主義っぽい人の中には、稀にそういった防衛本能をかいくぐってまで無理を続けてしまう人もいます。
こういうことは誰にでも起きる可能性がありますので、あまりにも苦しい時は、できるだけ休憩することを考えていただきたいと思います。
人生100年時代なんて言葉もあるように、これからの世の中は良くも悪くもそう簡単に死ねないですからね。
人生は超超超長距離マラソンだと仮定して、こまめに休憩をはさむようにしたほうが後半がラクだと思います。
さて、今回こういう話を書いたのはあるYouTube動画を観たからです。
以前、わりとテレビによく出ていた芸人さんが、精神的な問題で長期間お休みしていた時の話を語ってくれています。
どんなプロセスで心が動作不良を起こしていったのか、心が動作不良を起こすとどういう思考回路になって、どんな行動を起こす可能性があるのか。
こういったリアルな話はなかなか聞けないものですし、何よりもすばらしいのは、ふつうならしめっぽくなってしまうタイプの話を笑いに変えているところです。
芸人さんって本当すごいなと思いました。
心が動作不良を起こしてしまう可能性は誰にでもあります。
なので、できるだけ自分がそうならないためにも、体験者のお話を聞いておくことの意味は大きいような気がしましたのでシェアしたいと思います。
〇2700八十島に何が起きた?頭の中で起きた爆発…芸人休業の真相を語る【前編】
https://youtu.be/U6VVRGQpKBA
〇爆発!幻覚!警察通報!2700八十島の壮絶メンタル…そして家族は?【後編】
https://youtu.be/fFr5QlbMu6Q
イルカ
最近、リラックスしたいと思った時によく「イルカ」のYou Tube動画をみています。
イルカがまとっている雰囲気(エネルギー)って、とても優雅で自由で、明るくて楽しげなんですよね。
なので、気分が落ち込んでる時とか、リラックスしたい時にイルカの映像をみたり、鳴き声を聴くと、不思議と気分が良くなったりするのでおすすめです。
You Tubeで「イルカ 映像」とか「イルカ 鳴き声」検索するといろいろ出てきますよ。
例えばこんな感じ↓
映像
https://youtu.be/R42DGCOb3pw
鳴き声
https://youtu.be/fkg0FfrvC2g
札幌へ
明日から妻のお父さんとお姉さんが住んでいる札幌へ行ってまいります。
既に妻と娘は先に行っているので合流する形です。
ということで明日一人で飛行機に乗るわけですがちょっとドキドキしてます。
今年40になる男が何を言ってるんだという感じですけどね・・
飛行機が怖いわけではなく、いろいろな手続きとか、乗り場を間違えないかとか、昔から注意欠陥っぽい傾向があるので、妙なミスをしないかちょっとドキドキしてます。
いつもはそういうことに手慣れている妻がリードしてくれるので安心なのですが、今回は一人なので慎重に事を進めていきたいと思います。
〇札幌の日々
札幌は湿気が少なくて東京と比べてとても過ごしやすいです。
妻のお父さんは家のお庭で、けっこう本格的な家庭菜園をやっているのですが、娘と一緒に枝豆やトマトやししとうなどを収穫させてもらいました。
他にも、とうもろこし、じゃがいも、かぼちゃ、きゅうり、だいこんなど、いろんなお野菜を作っていて、ありがたいことに年に数回東京に送ってくれます。
不確定な自然を相手にしながら食べ物を作り出すということって本当にすごいことだなとつくづく思いました。
さて。
昨日の日中は一人行動の時間をもらい、神社めぐりをしました。
徒歩で北海道神宮→琴似神社→伏見稲荷神社という順番で回りました。
だいぶ歩いたのでちょっと疲れましたが、風が気持ちよく、先々の神社でエネルギーを充電できるので、なんとかなりました。
神社という場所はとても面白いです。
僕はどんな神様が祀られてるいるのか?
どんなご利益があるのか?
ということにはあまり興味がなく、その神社がどんなエネルギーの性質を帯びているのかを「感じる」ことが好きです。
鳥居をくぐった時の場のエネルギーの変化。
本殿、末社、ご神木のエネルギーの質の違いなどを、肌感覚、胸(ハート)、呼吸など、全身で感じることがとても気持ちよくて好きなのです。
エネルギーを感じる=雰囲気を感じる
先日のメルマガで、札幌で神社に行ってきたことを書きました。
昨日の日中は一人行動の時間をもらい、神社めぐりをしました。
徒歩で北海道神宮→琴似神社→伏見稲荷神社という順番で回りました。
だいぶ歩いたのでちょっと疲れましたが、風が気持ちよく、先々の神社でエネルギーを充電できるので、なんとかなりました。
神社という場所はとても面白いです。
僕はどんな神様が祀られてるいるのか?
どんなご利益があるのか?
ということにはあまり興味がなく、その神社がどんなエネルギーの性質を帯びているのかを「感じる」ことが好きです。鳥居をくぐった時の場のエネルギーの変化。
本殿、末社、ご神木のエネルギーの質の違いなどを、肌感覚、胸(ハート)、呼吸など、全身で感じることがとても気持ちよくて好きなのです。
ということで、僕は神社のエネルギーを感じることが面白くて好きなのですが、最近よくYouTubeで神社の動画をみています。
動画からもエネルギーが出ているので、神社によって違う、いろいろな性質のエネルギーを比較しながら楽しんでいます。(「神社 遠隔参拝」で検索するといろいろ出てきます。)
僕はかなりの時間をかけて、いろいろな訓練、研究をしてきているので、かなりの臨場感でさまざまなエネルギーを知覚することができるのですが、一般的にはそういうのはよくわからないという人のほうが多いと思います。
でも、「エネルギー=雰囲気」だと捉えてみてください。
そうすると、神社によって雰囲気が違うことに気付ける人は少なくないはずです。
人も神社も物質も、特有の雰囲気を持っていて、それがまさにエネルギーそのものです。
嫌な雰囲気を発している人の近くにいると疲れますよね。
それは、その人が発している雰囲気が、ネガティブなエネルギーだからです。
柔らかく温かい雰囲気の人と一緒にいると元気になるのも、その人が素敵なエネルギーを出してくれているからです。
人も神社も物質も、自分との相性が良いものは「良い雰囲気を放っているように感じる」ものですから、あまり難しく考えるのではなく、できるだけ良い雰囲気のものを選び、あまり良いとは思えない雰囲気のものからは離れることを意識するといいと思います。
ただ、自分にとっては嫌な感じの雰囲気(エネルギー)でも、それを好む人はいますし、その逆もしかりなので、こういった感覚はあくまでも絶対的なものでなく「相対的なもの」だと理解してください。(つまり、他人の好みにあれこれ口を出すのは野暮だということです)
自分が好きなものごとの背景にあるものを感じる
前回のメルマガでこんなことを書きました。
人も神社も物質も、自分との相性が良いものは「良い雰囲気を放っているように感じる」ものですから、あまり難しく考えるのではなく、できるだけ良い雰囲気のものを選び、あまり良いとは思えない雰囲気のものからは離れることを意識するといいと思います。
人生をより良いものに変えていきたいと思った時に、自分が心地よく感じるもの=相性が良いものを徹底的に追及することがとても大切です。
例えば、自分が心地よく感じる人、場所、色、服、食事、飲み物、香り、神社、街、映画、音楽、本など。
できる限りでいいので、あらゆる選択肢において、気持ちや感覚が好ましい状態になるもの、またはしっくりくる感じがするものを意識して選ぶようにします。
そうすると、次第に「自分はこういう雰囲気のものが好きらしい」ということが肌感覚でわかってきます。
雰囲気=エネルギーですので、それはつまり「自分がどういう性質のエネルギーを求めているのかがわかってくるということ」です。
例えば、サーモンピンクという色が大好きで、家具や食器や服もその色のものを集めている人は、おそらくその色が発しているほっこりしていて温かく、安心感を高めるようなエネルギーが好きなのです。
ですのでたぶんそういう人は、ほっこりした気持ちや安心感を与えてくれるような人や場所を好む傾向があるのではないかと思います。
実は、僕らが何かを好む時、何かにしっくりくる時、「その物事の背景にあるエネルギーに対して反応している」のです。
どうしても、目に見えるものに意識を囚われてしまいがちですが、自分が好きなものごとの背景にあるものを感じるようにしてみてください。
そうすると、全然別の基準で選んでいたと思っていたものごとが、実は共通したエネルギーを発していることに気づけるかもしれません。
自分が好む、自分と相性の良いエネルギーの性質がわかってきて、ある程度それを自覚できるようになってくると、自分に合わないものごとや相性が悪い人の判別がとてもラクになります。
自分に合わないものにお金を使って後悔することも減りますし、嫌な人と付き合うこともなくなりますから、明らかに人生の幸福度が高まるはずです。
ですので、是非自分の気持ちや感覚にしたがって物事を選択するようにしてみてください。
徹底的にやっていけば、だんだん自分が本当に求めるエネルギー(雰囲気)の性質が肌感覚がわかってくるはずですよ。
神社で撮影した不思議な動画「ここやばいから来てみて!」
前回、神社で撮影した不思議な動画をシェアしました。
~まだ観ていない方は、まずこちらの動画をご確認ください~
https://youtube.com/shorts/lCZvvFW6yzg?feature=share
(1)左下の祠から、半透明のきらきらした発光体が上に昇っていき、画面中央からさらに左側←の辺りに数秒静止した後、また祠に戻っていく。香取神宮内のウカノミタマ(お稲荷さん)末社の裏側で撮影。
https://youtube.com/shorts/ii6WIzRHK9E?feature=share
(2)白い粒?発光体?のようなものが無数に映っている。北海道神宮内の開拓神社で撮影。
https://youtube.com/shorts/emB1QdmVh_0?feature=share
(3)同じ場所を違う角度で取ったもう一つの動画
こちらには白い粒?発光体?のようなものは映っていない。風で物理的な何かが飛んでいるなら、この動画にもそれが映っていてもいいはずたが…不思議。北海道神宮内の開拓神社で撮影。
まず(1)の動画を撮影することになった不思議な理由について解説していきます。
2022年8月10日に、偶然ある神社に立ち寄ったことがキッカケで、僕の中で急激に神社に対する興味が強くなりまして(それについてはまた別の機会に書くつもりです)、なんとなく「鹿島神宮に行ってみようかな」と考えていたところ。
たまたまタイミングが合い、父と母と妹との4人で「東国三社参り(鹿島神宮、香取神宮、息栖(いきす)神社の三つの神社を巡ること)」に行くことになりました。
この日はあいにくの空模様で、鹿島神宮ではものすごい雨でビショビショになってしまったのですが、香取神宮に着く頃には少し雨も弱くなっていました。
香取神宮の拝殿でお参りした後、僕らは「要石」に向かいました。(香取神宮の境内案内図→https://katori-jingu.or.jp/guide/)
僕と父と母は、最短で直接、要石に向かうルートを歩いていたのですが、何かが気になったのか、なぜか妹だけが若干遠回りルートを選びました。
そして、その遠回りルート(といっても数十秒程度しか違わない)を歩いていた妹が僕らに声をかけてきました。
「ここやばいから来てみて!」と。
ここで注釈を入れておきますが、うちの家族はなぜか敏感な人が多く、父も妹も、目に見えないエネルギーをかなりのレベルで感じることができます。(母も手のひらでエネルギーを感じるくらいのことはできるみたいです)
特に妹は昔から妙に勘が良く、僕とは違った系統ですが、使いようによってはかなりの力(霊的な力?)を秘めているタイプだと感じてます。
さて話を戻します。
妹の声のほうに向かっていくと、何の文字も書いていない謎の祠と、なんの変哲もない木があり、なぜかとても強いエネルギーを発していました。
これは興味深いと思い撮影したのが(1)の動画なのです。
つまり、先に妹が強いエネルギーを感知し、次に僕と父が「たしかにここすごいね」と確認した上で動画を撮った結果、あの「半透明のきらきらした発光体」が映ったわけです。
面白い話だと思いませんか。
偶然にしてはちょっと出来過ぎてるといいますか、不思議だなと。
ちなみに、後々妹は、「なんで一人だけわざわざ遠回りになる道を選んだのか自分でもわからない」と不思議がっていました。
今でもいったいあそこでいったい何が起こったのかよくわかりませんが、とても興味深いことが起きたのは事実です。
つくづくこの世界はほんと面白いなと思います。
さて、次は(2)の動画についてです。
こちらは(1)よりは全然ドラマチックではないのですが、不思議なことといえば「なんとなく直感的にあの場所で動画を撮ったほうがいい気がした」ということです。
そういう意味では、(1)と同じように、偶然というよりも、撮ろうと思って撮った動画と言えるかもしれません。
動画をご覧いただけるとわかるのですが、ふつうに考えて、まったく絵にならない構図の動画ですし、どう考えても、後で観て楽しくなるようなものではありません。
この動画を写真好きな友達に見せた時に「ふつうは意図的にこの構図は選ばないよね。ふつうはもっと絵的にきれいな構図になるように撮影すると思う」と言われました。
友達が言うように、僕だって綺麗な映像を撮りたかったら、もっと引いて神社全体が映るようにしますからね。
でもこの時は、自然となぜかこの角度で動画を撮ってたわけです。
しかもなぜか二回も。
結果的には、そのおかげで白い粒?発光体?がまったく映っていない動画(3)と、それが沢山映っている映像(2)を撮れたおかげで、比較できて面白かったわけですけど、まあ不思議ですよね。
ちなみに、時系列的には(3)の動画が先に撮影したものです。
これはお参りしている最中に撮影したもの(12時27分)で、これには何も映っていません。
家紋が描かれた幕が大きく動いていることからもわかるように、そこそこ強めの風が吹いていることがわかります。
白い粒?発光体?が物理的なもので、風で飛んでいるのであれば(3)の動画にもそれが映っていてもいいような気がするんですけどね。不思議です。
そして、お参りが終わった1分後(12時28分)に別角度から撮った(2)動画には、なぜか無数の白い粒?発光体?が映っています。(ちなみに、こんなにはっきり映っているのに、肉眼では何も見えませんでした)
しかも、よく観察してみると、空中から突然現れていたり、軌道がくねくね動いていたり、飛ぶ方向がバラバラだったりしていて不思議です。
お参り前、お参り後のこの1分間で何がどう変わったのでしょう・・
ほんと面白いですよね。
いったいこれらの動画に映っているものは何なんでしょうね。
とても興味深いです。
恐ろしいほど精妙でシーン・・と澄み切った、おごそかですがすがしい波動が満ちていた三峯神社
前回の記事(神社で撮影した不思議な動画「ここやばいから来てみて!」)で「8月10日に、偶然ある神社に立ち寄ったことがキッカケで、僕の中で急激に神社に対する興味が強くなった」と書きました。
今回はその時のことを書いていきたいと思います。
8月9日に祖父と祖母のお墓参りもかねて、父と妹と三人で秩父にキャンプに行きました。
お墓参りが終わり、キャンプ場に向かう車中で、なんとなく「明日帰る時にどこかの神社寄れないかな?」と口にすると、妹が「そういえば秩父だと三峯神社が有名らしいね」と返してきて、その場のノリでじゃあ三峯に行こうということになりました。
これまでも神社に行くことはありましたが、他の目的地があって、そのついでに寄る程度の感覚で、神社に行ってパワーを貰おうとか、願いを叶えてもらおうとか、そういうことはほとんど考えたことがありませんでした。(雰囲気が好きという感覚はありましたが)
三峯神社に関しても、名前は聞いたことあるけれど、それ以外の情報は何も知らない状態で、正直なんの期待もしてませんでした。この時点では・・
次の日、キャンプ道具を片付けた後、そこからさらに一時間ほど、けっこうな山道を走りながら三峯神社に向かいました。
妹が運転してくれたのですが、結構大変そうでした。
構造上、どうしても混みやすい道でしたし、天候にも大きく左右される道であることは間違いなく、時間的にも気力的にも体力的にも、それなりに覚悟が必要な道だと感じました。
幸いなことにそこそこ朝早かったので、僕らは比較的スムーズに到着しましたが、曜日や時間帯によってはさらに厳しい道になることは間違いありません。
そんなこんなで無事に三峯神社の駐車場に到着して、景色の良さに驚きました。
あと、僕はあまりわからなかったのですが、父は空気の薄さを感じたそうです。
それだけ標高が高いということですね。
駐車場から急な階段を登ってすぐのお店で、コーヒーを飲みながら一服したのですが、既にこの時点で、自分の身体に変化が現れていることに気付きました。
眉間(第六チャクラの辺り)が熱くなりジンジンと脈打ってるのです。
「あっ、これはやばいやつだ」と思いました。(いい意味で)
それから、ゆっくり三峯神社のほうに歩いていくわけですが、近づけば近づくほど、鳥肌が止まらなくなりました。
この日、僕はTシャツとハーフパンツでしたが、いくら標高が高いところとはいえ、8月10日ですし寒いわけがありません。
それなのに、鳥肌が止まらず、それを通り越して、身体が震えてきました。
寒くはないのです。でもなぜか震えちゃうわけです。
「あっ、これはやばいやつだ(二回目)」と思いました。
拝殿の近くまで来た時には、身体が順応したのか、鳥肌や震えは収まりましたが、今度はその場のエネルギーに圧倒されました。
よく大げさな表現として、「異次元の強さ」とか「異次元のうまさ」とか言いますけど、ほんとに異次元の場所だと感じたくらいです。
三次元空間に、高次元が重なり合っているのではないか?と感じるような、恐ろしいほど精妙でシーン・・と澄み切った、おごそかですがすがしい波動が満ち満ちていました。(朝早かったことも良かったのかもしれません)
「こういう場所なら、神様と呼ばれる存在がいてもおかしくないだろうな」と、体感を通じて妙に納得してしまった感じがします。
この時の体験で、明らかに僕の感覚は数段階開いたと思います。
三峯神社に行く前と後では、ほんとにいろんなことが変わってしまった気がします。
以前も感じていたことではりますが、神社のエネルギーをさらに強く感じるようになりましたし、妄想かもしれませんが、そこに祭られている何かの存在も、強い臨場感で感じるようになってきました。
近所の神社に行く回数も圧倒的に増えましたし(なぜか行きたいと思うようになった)、正直自分でも、「いったいどうなってしまったんだ俺は・・」という戸惑いもなくはないのです・・
でも、その一方で、もともと目に見えない世界の探究をしてきた身としては、探究の方向性、興味が変わっただけで、ワクワクや楽しさ的にはさらに大きくなっている部分もあります。
自分でも今後どうなっていくのかわかりませんが、とりあえずはこれまでと変わらず、ワクワク楽しみながら目に見えない世界を冒険していきたいと思っています。
お好きにどうぞ
10月に入りましたが、東京はかなり暑いです。
子どもの頃の10月はこんなに暑くなかったことを思い出します。
世界はどんどん変化していて面白いです。
そうです。世界は常に変化しているのです。
変化することは良くも悪くもなく、ただの「現実」です。
変化したくない人にも、変化したくてしかたない人にも、平等に変化は訪れます。
僕は誰かに「変化しなきゃだめですよ」なんてことは言いません。
変化したくないなら、その気持ちを大切にすればいいと思いますし、変化したいなら、お好きにどうぞと思います。
良い変化に見えることが、後ほどネガティブな結果になることもありますし、一見悪い変化に見えることが、ポジティブな結果を生むこともあります。
どうせわからないのですから、心地よいと感じる変化を好きに楽しめばいいのではないでしょうか。
心の底から「みなさんお好きにどうぞ」と思います。
自分にはやりたいことがないんです・・それが気になるなら、やりたくないことを減らすといい
やりたいことをやってる人は輝いている・・みたいな漠然としたイメージがあるせいか「やりたいことがない」ことを気にしている人ってけっこう多い気がします。
僕なんかは、別にやりたいことがあってもなくても、そんなに大した違いはないような気がしてしまうのですが、なんとなく気持ちはわかります。
やりたいことがない人におすすめなのが、「やりたくないこと」を減らす努力をしてみることです。
やりたいことがない人でも、やりたくないことは沢山あるはずですからね。
やりたいことがないことを悩んでいるのに、なんでやりたくないことを減らす話になるのかというと、大抵の人にとって、やりたくないことが減る=うれしいこと=やりたいことだからです。
実際、やりたくないことが減ったらうれしくないですか?
気持ちがうれしくなること=やりたいことと捉えても間違いじゃないはずです。
ですので、やりたいことがないなら、シンプルにやりたくないことを減らせばいいと思います。(翻ってそれは「やりたいこと」でもあるわけですから)
面白いのが、もともとやりたいことがなかった人も、やりたくないことを減らす努力をしていくと、少しずつ「やりたいこと」がわかってくる場合が多いということです。
なんでそういうことが起こり得るのかというと、やりたくないことをやりすぎている人は、そのストレスから自分の心を守るために、「心を麻痺させながら生きている可能性が高い」からです。
心が麻痺していると、当然いろいろなことを感じる力も低下しますので、自分の本音もわかりづらくなってしまいます・・
しかし、やりたくないことを減らしてストレスも減ると、心を麻痺させる必要がなくなり、心の感度が高まり、本当の自分の気持ちに気付きやすくなるわけです。
前述したとおり、個人的には、別にやりたいことがなくても、それが悪いとは思わないのですが、やりたいことがあったほうがいい気がするという人は、今回お伝えしたアプローチを意識してみるといいかもしれません。
損得勘定を超えた表現
YouTubeに「THE FIRST TAKE」というチャンネルがあります。
このチャンネルの醍醐味は「一発撮り」というところ。
失敗が許されない状況なので、緊張感があって、アーティストの性格や価値観が強く反映された映像が観れます。
以前から好きなチャンネルなんですけど、先日、水曜日のカンパネラの「エジソン」という動画を観たんですね。
動画はこちら↓
https://youtu.be/dbGCrX_zPfs
水曜日のカンパネラという名前は知っていたのですが、全然曲も知らなかったですし、ちゃんと曲を聴いたのははじめてでした。
この動画で歌っている詩羽さんが二代目のボーカルとのことですが、とっても自由で軽やかで楽し気なエネルギー(波動)が出ていて、こっちも楽しくなってしまいました。
最近の若い世代の中には、こういうタイプのエネルギーをまとっている人が増えてきたような感じがします。
僕は個人的に、自由で軽やかなエネルギーが好きなので、楽しそうでいいな~と思いますし、こういう人たちがどんどん活躍してほしいなと感じています。
とはいえ、僕だって固くて重めの雰囲気の音楽を聴きたい気分の時もありますし、別に、なんでもかんでも軽やかで自由なほうが良い!と決めつけたいわけではありません。
みんなそれぞれ、自分が好きなエネルギーを放っているものや生き方を選べばいいだけですからね。
ただ、一つ言えることは、自分がそれを選び、精神の深いところで、自分がそうなることを許可することができれば、今回ご紹介した詩羽さんが発している自由で軽やかで楽し気なエネルギーに近い波動を、誰でもまとうことができるということです。
そんなの無理だよ・・と思うかもしれませんが、今の世の中に流れているエネルギーは異常なほどのスピードで、軽やかで精妙な方向に変化しています。
ですので、そのエネルギーの変化に抵抗せず、自分の変化を受け入れる(許可する)ことができれば、どんな人でも軽やかな波動の方向に変化しやすい時代だと感じています。
まあ、だからといって、風の時代に乗り遅れるな!とか、変化しないとだめだ!なんてことは思わないですけどね。
なんかこう、時代に適応しましょう!とか、乗り遅れるな!みたいなエネルギーって、それ自体がもう固くて重いと思っちゃうんですよね・・
変化しようが、しなかろうがどっちでもいいじゃん。みんなお好きにご自由にどうぞ。みたいな雰囲気のほうが、僕は軽やかで自由な感じがするので好きです。
ということで、みなさん適当に(適度にちょうどよく)ご自由にどうぞ。
追伸
前述したようにTHE FIRST TAKEの特徴は一発撮りというところです。
つまり失敗してしまったら、その動画がずっとネット上に残り続けてしまうわけです。
ふつう緊張するはずですが、そんな状況を詩羽さんは明らかに楽しんで表現をしている。
これは、失敗したくないとか、人からもっと評価されたいなど、誰もが当たり前に持っている損得勘定を超えたところまで意識が拡大していないと、なかなかできることではないと思います。
決して損得勘定が悪いわけじゃないんですけどね。
でも、損得勘定を超えた行動やパフォーマンス、作品には、それに触れた人の魂をゆさぶるような何かがあることは間違いないような気がします。
何かに興味を持ち、それに影響されると、そのエネルギーに近づいていく
この前こんな記事を書きました↓
・損得勘定を超えた表現
https://kikuchiyablog.com/backnumber#8
その中で水曜日のカンパネラの二代目のボーカル、詩羽さんの自由で軽やかで楽し気なエネルギー(波動)について書きました。
僕の妹がその記事を読んだらしいのですが、その後、電車でたまたま詩羽さんと同じ車両になったそうで、LINEで教えてくれました。
動画で見た印象そのままで、とってもかわいかったとのこと。(動画はこちら→https://youtu.be/dbGCrX_zPfs)
さて、次に僕の体験について。
もう10年近く前のことですが、その当時、よく読んでいた引き寄せの法則系のブログがありまして、その日もスマホでそのブログを読みながら、ちょっとしたセミナーを受けに行ったことがありました。
そこで僕が座った席のとなりにいたのが、なんとそのブログを書いている方でした。
驚いたのと同時にとても楽しい気持ちになりましたし、その方と「これも引き寄せですね」なんて話したのを覚えています。
良くも悪くも、何かに興味を持ち、それに影響されると、そのエネルギーに近づいていくものです。
そして、自分もそれと同質の波動をまとうようになり、その波動と同質のものを引き寄せるようになります。
その典型例が、妹と僕のようなケースと言えると思います。
ブログに興味を持ったら、そのブログの作者の方と出会い、動画に興味を持ったら、その動画に出てる人を見かけるなんて、あまりにもわかりやすい例ですよね。
この世界には、自分が発する波動(エネルギー)と同質の現実を引き寄せるシステムが働いています。(一般的にそれを引き寄せの法則と呼びます)
軽やかな波動は、軽やかな気持ちになるような現実を引き寄せ。
ワクワクの波動は、ワクワクするような現実を引き寄せ。
喜びや楽しさの波動は、喜びや楽しさを感じるような現実を引き寄せる傾向があります。
いい感じの現実を生きたいのであれば、いい感じのものに興味を持ち、いい感じのものから影響を受けることをおすすめします。
そうすれば、自分自身もそのいい感じのものの波動と同質の波動に近づいていくので、結果的にいい感じの現実を引き寄せられる可能性が高まるからです。
ちなみに、いい感じの波動(雰囲気)を作っていく最大のコツは、自分の気持ちや感情がいい感じになるような人や物や場所、行動や言動、考え方をじっくり選んでいくということです。
具体的な方法や考え方については、このメルマガの最初のほうに書いたキモチイヤシについての記事を読んでみると、イメージしやすくなるかと思います。
無料で心身を浄化する方法
たまたま通りかかった場所に神社があったりすると、時間に余裕があって、しかもなんとなくピンときたりすると寄ってみることがよくあります。
この前も、ふらっとある神社に寄りました。
そこはベンチが沢山あって、お昼時だったこともあって、ベンチに座ってお弁当を食べてる人や、スマホを見ている人がけっこういました。
天気もよく温かったので、僕もそのベンチに座って、30分くらいゆっくり気持ちよく瞑想させてもらったのですが、とっても贅沢な時間を過ごさせてもらった感じがしました。
ちゃんと運営されている神社は、大抵の場合、ただそこにいるだけで心と身体が浄化され、整えてくれるような場になっています。
瞑想する場としても最高ですし、ただぼ~っとしたり、目を閉じてちょっとお昼寝するのにも最高の場所なので、もしもお近くにゆっくりできそうな神社があったら、特に用事が無くても、その場の空気を味わいに(心身を浄化してもらいに)気軽に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
特に、気持ちが沈んでる時や体調が悪い時などに、神社で深呼吸しながらゆっくり過ごしてみると、だいぶラクになることが多いのでおすすめです。
場合によっては、お金を払ってマッサージしてもらったり、占いに行ったり、カウンセリングを受けるよりも効果が出ることもあるかもしれませんよ。
これ「で」いいと、これ「が」いい
誰と付き合い、どんな人と時間を過ごすか
どんな仕事をするか
どんな風に仕事をするか
どんな価値観、考え方を採用するか
何を優先して、何を優先しないか
など。
僕が重要だと思うことがらについては、基本的に「これがいい」と感じることを選び取って生きてきたつもりです。
でも、あまり自分が重視していない分野については、「これがいい」ではなく「これでいい」という適当な感じで選ぶことも多々あります。
僕の場合、大切なことはかなり突き詰めるほうですが、そうでもないことがらについては、とっちでもいいかな・・と思ってしまうことが多いので、その辺りのグラデーションがはっきりしているみたいです。
今日のご飯をどうするかとか、どの食器を買おうかとか、カーテンの色や素材をどうしようとか、僕からするとどっちでもいいかなと感じる場面で、妻や娘に対して「~でいいんじゃない」という表現をすることがあるのですが。
そういう適当なあいづちをすると、たまに娘から「パパ、でいいじゃなくて、がいいでしょ」みたいなことを言われたりすることがあります。
その度に、たしかに、「でいい」なんて言ったら、ごはんにも、食器にも、カーテンにも悪いかもしれないな~なんてことを思ったりもします。
なんでもかんでも、「これがいい」ということを追求するのは疲れますし、どうしても興味が湧かないこともあります。
なので、別に「これでいいや」と感じるものを選ぶことがあっても全然いいと思うのですが、そればかりになってしまうと、自分の人生なんてこんなものでいいか・・みたいな感じになってしまうので、それはちょっときついかなとは思います。
無理して「これがいい」と思うものばかり選ぼうとする必要はありませんが、自分が大切だと思うことについては、一生懸命「これがいい」を探すことはけっこう大切なことかもしれません。
感謝や愛情が人の気を循環させる!?
妻のお姉さんには、はまっているアイドルグループがいます。
かなり熱心に追いかけていて、いわゆる「推し活」ってやつでよく東京にも来ます。
誰かを好きになり、応援することはとても素敵なことだと思います。
誰かを応援すると、相手にエネルギーが向かいます。
そして、そのエネルギーによって、応援された人はより活動的になったり、元気になったりすることがあります。
応援されている側が、ファンあっての自分たちだということをちゃんと自覚していて、ファンに対して感謝や愛情を持っていると。
そのエネルギーによって、応援しているファンの人たちも元気になったりします。
つまり、誰かを応援する→アーティストやグループ側が応援してくれてありがとうとファンに感謝する→ファンも元気になる→もっと応援する→感謝する・・という感じで、エネルギーの循環が生まれるわけですね。
ただ、応援されている側がファンを大切にしないと、エネルギーが一方通行になってしまって、こういった美しく機能的な循環が生まれづらくなります。
そして、エネルギーの循環が滞ってしまうと、おそらくそのアーティストやグループは、だんだん人気が無くなっていってしまうのではないかと思います。
なぜなら、ここで循環しているエネルギーとは「人の気」であり、人の気=人気だからです。
人の気が、ファンからアーティストへ、そして感謝や愛情という形で、アーティスト側からファンへと循環するからこそ、そのアーティストの人気も保たれるのではないかと、そんな風に想像しています。
そういう意味では、長年活動しているようなアーティストやグループの人たちは、たぶんちゃんとファンを大切にしているのだろうなと思います。
初恋と運命について
先日、ネットフリックスのドラマ「First Love 初恋」を観ました。
・『First Love 初恋』特別映像「初恋」ロング版 – Netflix
これまで、映画やアニメばかりで、日本のドラマはほとんど観てこなかったのですが、この作品はとても素晴らしかった。
二次元的に映像を観ているだけなのに、なぜか質感や感覚が伝わってくるような臨場感があって、とても素敵な体験ができた気がします。
年末年始でお時間がある方はチェックしてみてはいかがでしょうか。
さて、この作品では「運命」というキーワードが何度も出てきます。
運命って信じますか?
僕は運命を信じてはいません。
でも、その存在を感じてはいます。
僕は物事をあまり信じません。いや、信じられないというほうが正しいかもしれません。
なので、できる限り、自分の五感を使って、あらゆることを検証するようにしています。
頭で信じるより、感じられるもののほうが、腑に落ちますからね。
他人や社会から与えられた価値観や概念をそのまま信じるのではなくて、自分でそれを感じて味わって、人生を豊かにしてくれるものは採用して、そうでないものは手放すようにしています。
そんな風に、頭ではなく、感じる力によって世界を捉え続けているからなのか、僕はある時期から少しずつ、おそらく感覚でしか捉えられないような、思考を超えた物事や存在を認識できるようになっていきました。
いろいろ不思議なものを感じるようになっていきましたが、その中の一つが運命の存在です。
僕は自分の人生には、シナリオ(運命)のようなものが存在しているんじゃないかなと感じています。
なんとなく複数のシナリオが用意されている気がしますが、詳しくはまだよくわかっていません。
実体験として、これまで何度も運命的な出来事を経験してきてますし、これからも当たり前に起こるだろうと感じています。
運命が絡むと、常識的にはなかなか起こりえないようなことがふつうに起こります。
明らかに偶然では説明できないようなことが起こる。
運命ってそういうものなのだと思います。
運命は存在する。僕はそう感じています。
でも、運命的な出来事が誰にでも起こっているかというと、どうやらそうではないようです。
運命なんてないと思っている人も少なくないでしょうしね。
じゃあ、どうすれば運命的な出来事を引き寄せられるのでしょうか。
結論からいうと、できるだけ「自分の気持ちを正直に表現できる人」ほど、運命的な出来事に近づいていけるのではないかと考えています。
気持ちって、たぶん魂みたいなものにつながってるように思ってるんです。
だから気持ちをちゃんと表現できると、魂が震えるというか喜ぶというか、とにかくそれは、その人の存在全体を肯定するような行為になるのではないかと思っています。
気持ちは抑えるためにあるのではなくて、表現するためにあると考えたほうが心地よいですしね。
これはイメージでしかないのですけど、人が自分の気持ちを正直に表現する時、その人の心の奥の奥にある魂みたいなものが振動して、そのバイブレーションが運命的な出来事を引き寄せる。
そんなことがあるんじゃないかなと僕は感じてます。
このドラマの中でも、主人公たちが自分の気持ちを勇気を出して正直に表現した時、物語が運命に向かって大きく展開していきます。
逆に言えば、気持ちを抑圧して表現しなかったとしたら、運命は開かれていかないということです。
とはいえ、気持ちを正直に表現することは怖いことでもあります。
そのことでネガティブなことが起こることもあるでしょう。
この物語の中でも、満島ひかりが演じる也英(やえ)が、義母に対して勇気を出して気持ちを表現した結果、何年も最悪な状況に追い込まれてしまう場面があります。
この前後のシーンで僕はボロボロ泣きましたが、也英にとっては本当に辛い数年だったと思います。
でもです。
その先に、とんでもなく運命的な出来事が展開していくわけです。
もしも也英が、自分の正直な気持ちを義母にぶつけずにいたら、もしかすると安定した人生が続いていたかもしれませんが、おそらくそれは、也英の魂が震えるような人生にはならなかったのではないかと僕は思います。
話は変わりますが、也英が自分の気持ちを抑圧して、体のいい理屈で自分を丸め込もうとしたシーンがあります。
自分なんてどうせ・・みたいな感じで、好きという気持ちをあきらめようとしていたのです。
その時、職場の同僚で、本当は也英に恋をしている濱田岳演じる旺太郎という登場人物が言ったこんなセリフがあります。
「逃げるな、野口也英!前を向け!息を吸って前進しろ!傷ついたって失敗したって人生は飛び込まなくっちゃ! 」
この言葉に励まれたことで、閉ざされかかっていた也英の運命が大きく展開していきます。
旺太郎の言葉はさておき、個人的には
人生は逃げてもいい。
怖くてしかたがないなら、無理に飛び込まなくてもいい。
と僕は思います。
みんな好きなように自由に生きたらいいわけですからね。
でももしも。
運命があるなら、より素敵な運命を生きたい。
運命的な出来事を経験したい。
そんな強い想いが溢れてきた時には、旺太郎の言葉に耳を傾けて、自分の気持ちを勇気を出して表現してみてもいいかもしれません。
〇First Love 初恋の概要(Wikipedia)
Netflixオリジナルドラマ。宇多田ヒカルの楽曲「First Love」「初恋」にインスパイアされて製作されており、満島ひかりと佐藤健がダブル主演を務めている。
2020年12月3日に、製作・配信の決定が発表された。ドラマは、1990年代後半と、ゼロ年代、そして現在の3つの時代が交錯し、 20年余りに渡る忘れられない“初恋”の記憶をたどる一組の男女の物語となっている。脚本・監督を務める寒竹ゆりは宇多田ヒカルと同学年で、そのデビューに衝撃を受け、「『私たちの時代が始まった』と思わせてくれた」といい、「宇多田さんの『First Love』から『初恋』の間に起きた20年間のエポックを、也英と晴道(登場人物)の20年間のドラマを通して描くことがすんなりイメージできましたし、あの歌詞からこの物語を描く必然性を感じました。」と語っている。
なお、撮影は2021年4月中旬より北海道、関東地方を中心に開始し、2022年3月下旬まで行われた。
現実的に〇〇という言葉に対する違和感について
たまに「現実的に」という言葉を頻繁に使う人がいます。
現実的に無理とか、現実を見たほうがいいよとか。
そんな感じで。
この言葉に違和感を感じていて。
それは、この「現実的に〇〇」という言葉の中には心が排除されてるような気がするからです。
僕の勘違いかもしれないのですが、「現実的に」という言葉を頻繁に使っている人たちを観察してみると。
どうやら彼ら彼女らの現実の中心には、一般常識、ネットやメディアからの情報、収入や学歴、年齢や性別などの基準が存在していることが多いみたいで。
そういう基準に照らし合わせて、これは現実的、これは現実的じゃない・・といった判断をしていることが多そうです。
でも。そういう基準って、あくまでも自分の外にあるものでしかなくて、本質的には、あんまり自分と関係もないことだと思うのです。
一番自分と関係があって、最も重要なことは、何かが好きとか、何かが嫌いだとか、何かをしたいとか、何かをしたくないとか、そういう自分の心の動きではないでしょうか。
例えば、誰かがあなたにこんな気持ちを表現したとします。
「本当は〇〇のほうが好きなんだよね」
「実は今の仕事嫌いなんだよね」
「本当は〇〇したいんだよね」
「できたら〇〇したくないんだよね」
そういう時に、現実的に・・という言葉が、もしもあなたの口から出てきそうになったとしたら、相手の意見を否定する前に、こんな風に考えてみると面白いかもしれません。
「この人のこういう風に思う気持ちも現実の一部なんだよね」と。
実際、心は目に見えないですけど、ちゃんと現実に存在してますからね。
心の働きは現実そのものです。
今日はサンドイッチを食べたいという気持ちが心に浮かぶからこそ、サンドイッチを買いに行くという現実が実現します。
本当は心が現実を作ってるわけです。
心=現実とも言えます。
ですので、現実的・・という言葉を使うなら、ちゃんと目に見えない心の働きも含めてほしいなと。そんな風に思ったりします。
追伸
僕は基本的に、できるだけ自分の心の動きをそのまま行動にするようにしています。
なので、心を優先した結果、常識から多少外れることもありますし、損得勘定で考えたならまずやらないようなことをやることもあります。
それを「現実的ではない」という人もいると思いますけれど、僕は心の中で起こっている現実をちゃんと受け止めた上で、それを行動として表現しているだけなので。
外からはちゃらんぽらんに見えるかもしれませんが、本人的には、しっかり心という現実を直視した上での行動だったりします(笑)
僕の価値観の中では、現実を作り出している自分の心の動きを無視するほうが、むしろ現実から離れた行為なのではないかと。そんな風に考えたりもします。
あい
うちのリビングには、「アレクサ〇〇の曲かけて」と言うと、すぐに音楽をかけてくれるデバイスがあります。
声をかけるだけで音楽を聴ける手軽さもあって、我が家では何かしらの音楽がちょこちょこかかっています。
このデバイスには歌詞を表示する機能があるんですけど。
ほとんど漢字は読めていないと思うのですが、気にいった曲があると、娘はじっと歌詞を眺めていることがよくありました。
そのせいか、最近「愛」という言葉がいろんなところに出てくることに気付いたようで。
突然こんな感じのことを言ってきました。
「〇〇ちゃんが好き系の歌に、あいって歌詞がけっこう出てくるんだけど、あいは大切だから、歌詞にしてみんなに広めようとしてるんだと思う」
5歳のこどもからこういうことを言われるとちょっとドキッとします。
愛という言葉の意味をちゃんと理解しているわけではないと思うですけどね。(それは大人になってもそうですけどね。愛っていうものは人生最大の難問であり、最大の幸福でしょうからね)
なんで急にそんなことを言い出すのかと。
面白いなと思いました。
自然体と自然界のエネルギーについて
ずっと我慢していた怒りを爆発させた時。
苦しくて仕方がなくて感情が抑えられず大泣きした時。
誰にも言えず一人で抱え続けていた本音を誰かに語った時。
前々から「嫌な人だな・・」と感じていた上司の愚痴で盛り上がった時。
そういう時に人は。
胸の辺りのモヤモヤ、重い感じが軽くなって、呼吸も深くなり、一時的かもしれませんが、実にスッキリと晴れやかな気持ちになることがあります。
なぜスッキリするのか。
それは、気持ちや感情は、抑え込むのではなく、「表現することが自然だから」です。
つまり、気持ちや感情を上手に表現できる人=自然体で生きている人ということになります。
自然体に近づけば近づくほど、いろいろと不思議なことが起きるようになります。
ネガティブな現象、人からの影響を受けづらくなり、ポジティブな現象、人とのつながりが強化される。
なぜかものすごく直感が当たるようになったり。
やたら運が良くなったり。
こうなったらいいなというイメージが実現しやすくなったり。
不安や恐怖、怒り、嫉妬などの苦しみが激減したり。
自分にも他人にも自然と優しくできたり。
不思議なものを見たり感じるようになったり・・など。
一般的にスピリチュアルの世界で注目されているような能力が、それを獲得しようとしなくても、ある程度自然についていく傾向があるように思います。
おそらくそれは、僕ら人間は本質的に最初からスピリチュアルな存在だからだと思います。
スピリチュアルな能力というと、なんとなく常人離れした、超人的な方向性の力だと捉えている人もいるかもしれませんが、僕は全く逆だと思っていて。
むしろ、本来はかなり原始的な能力なのではないかと考えています。
そもそも人間がスピリチュアルな存在だからこそ、自然体、デフォルトの状態に近づけば近づくほど、勝手にスピリチュアルな能力も開花していく傾向がある。
ただそれだけのことなのではないかと。
他にもこんな視点もあります。
実はこの世界は、プラーナとか気とか、宇宙エネルギーとか、いろんな言葉で表現される無尽蔵のエネルギーで満たされています。
僕らはエネルギーの海の中で生活しているようなものなんです。
このエネルギーは、どんな人にも平等に配分されていて、その気になれば、このフリーエネルギーを使って、あらゆることを実現させることができます。
ただ、このエネルギーを使うためには条件があり、どうやらその条件が「自然体で生きていること」のようなのです。
理由はとてもシンプルで、このエネルギーが「自然(宇宙)そのもの」だからです。
自然のエネルギーは自然な存在と調和しますが、不自然な存在とは調和しません。
あまりにも波長が違い過ぎて、エネルギーを引き込むことができないわけです。
スマホの充電ケーブルのタイプを間違えてしまうと、充電できないじゃないですか・・
目の前にコンセントはあるし、ケーブルのタイプさえ合えば即座に充電できるというのに・・
まあこれはあくまでもたとえ話ですけどね。
要するに、電気=エネルギーは、目の前に既に存在しているということです。
で、自然界のフリーエネルギーを引き込むためには、自分のケーブルのタイプを自然界と同じものに変換しないといけません。
その方法論が「自然体に近づく」という話なのです。
自然界のエネルギーですから、自然体に近づけば近づくほど、ケーブルタイプの波長も近づき、エネルギーの恩恵を受けやすくなるということなのでしょうね。
自然体っていうのは、「気持ちや感情と行動が一致している状態」のことです。
なかなか社会的には難しい状態ですけどね・・まあそういうことなのです。
自然体の達人がこどもたちです。
ある程度の年齢までのこどもは、お腹が空いたら泣いたり怒り。
眠いと思ったらうとうとしたり、どこでも寝たり。
怖かったら怖いと泣きます。
まさに気持ちや感情がそのまま行動に現れている状態=自然体なので、自然(宇宙)エネルギーがまるで源泉かけ流しのように彼ら彼女らに流れ込んでいます。
その結果、ものすごいスピードであらゆることを習得し実現していきますし、ものすごいパワフルです。
赤ちゃんなんか、母乳(液体)だけで、一年間に三倍近くの体重になるわけで、すごいですよね。
話は変わりますけど、松任谷由実の
やさしさに包まれたなら
という曲に
「小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた」
「小さい頃は神さまがいて 毎日愛を届けてくれた」
という歌詞がありますが、この神さまとは、たぶん子どもの頃に自然とつながることができた宇宙のエネルギーのことなんじゃないかと思っています。
その宇宙のエネルギーが、夢をかなえてくれたり、毎日愛を届けてくれたわけです。
そして、それは大人になった今でも可能なんです。
自然体に近づきさえすれば。
実際、気持ちや感情を自然と表現している人ってパワフルで健康的で、夢とか愛とかと近いような印象を受けませんか?
でもそれは、本来その人の力ではなくて、自然体に近づくことで得られる自然(宇宙)エネルギーによるものなのだと思います。
ということで、自然と調和して、エネルギーを引き込むことに興味がある人は、少しずつ自分の気持ちや感情を表現できるように意識してみてはいかがでしょうか。
人や状況を見ながら、可能な限り、気持ちや感情を表現しつつ、仕事の時など、社会的に気持ちを抑えたほうがいいと判断した場合は、もちろん無理に表現する必要はありません。
大人の僕たちは子どもと違って、状況に応じて気持ちをコントロールするという「自由、強さ」も持っていますからね。
ただその場合は、「私は今、本当は怒りをぶつけたかった。でも仕事だから仕方なく我慢した」ということをちゃんと自覚することをおすすめします。
気持ちや感情を抑圧すればするほど、自然体とは離れていくのですが、本当は怒りたかった。とか本当は泣きたかった。という気持ちがあったことをちゃんと認めてあげた上で、無理矢理気持ちを抑え込む=不自然なことをしているということを自覚しさえすれば、それは自然体に近いからです。
「さっき言った言葉は正直本音じゃないし、不自然だったな・・」と認められている状況は、自分の気持ちに正直で自然体ですからね。
避けたいのは、気持ちや感情と行動がまったく一致しない状況です。
例えば、まったく悪いと思っていないのに謝らないといけない時。
それが不自然なことだと思わず、反射的に、もしくはただの儀式的に謝ることが当たり前になってしまっているとしたら、それはかなり不自然です。
「なんで私が謝らなきゃいけないの!でもここで謝らないと場が収まらないから、ムカつくけど謝るしかないか・・」
という本音を自覚できていて、不自然だとわかっていながら謝る場合、それは自然体に近い状態です。
「不自然なことを不自然だとわかっているという意味で自然」ですからね。
しかし、あまりにも、気持ちや感情を抑圧し続けてきた人は、それがどれだけ不自然で、エネルギーを失う行為かという感覚がマヒしてしまっているケースがあります。
もしも、心当たりがある人は、まずは、自分の気持ちや感情をよく観察して解像度を高めることからはじめましょう。
いきなり気持ちを表現することは難しいので、とりあえず、自分はどんなことを、どんな人を嫌だと感じているのかをつぶさに観察してみてください。
私はこういうことが嫌いなんだな・・
こういうタイプの人に緊張するんだな・・
こういう店員さんが苦手なんだな・・
そんな感じで、自分が嫌だと感じていることがはっきりすればするほど、自然体に近づいていきます。
なぜなら、嫌なことや嫌な人を「嫌だと感じることは自然だから」です。
本当は嫌なのに、相手の良いところを探さなきゃとか、相手を悪く思ってはいけないとか、「そういう不自然なこと」はやめたほうがいいです・・
本当は嫌だったんだな・・と本音を認められるほうが、はるかに自然体ですからね。
なんか嫌だな・・という勘について
先日こんなことがありました。
電車の走行中、座席に座っていた僕の目の前を男性が通り過ぎていきました。
なんとなく気になったので、後ろ姿を見ていたら、隣の車両の端っこまで行った後、くるっと振り向いて、また僕がいる車両に入ってきました。
そして、僕の座席の前を通り過ぎていき、そのまま隣の車両に入って端っこまでいくと、またくるっと回転して、僕の目の前を通り過ぎる。
左手に長財布を持ちながら、肩をいからせるような独特の歩き方で、何度か車両を行ったり来たりしていました。
僕は強い違和感、もっというと恐怖感に近い感覚を覚え、3両ほど車両を離れることにしました。
とても稀なことですが、たまにこういうことがあります。
電車とか公共の場なんかで、妙に気になる雰囲気(エネルギー)を放っている人がいたりします。
大抵の場合、大きな問題に発展することはないのですが、そういう違和感を感じた時は、なるべくその場からすぐに離れるようにしています。
(ちなみに、明らかに奇妙な行動をしている人がいたとしても、その人が醸し出している雰囲気が悪くなければあまり気になりません。悪意とか害意みたいなエネルギーは強烈でわかりやすいですからね)
僕はさまざまな物事に対して、あまり不安になるタイプではないですし、世の中は危険な場所だから気を付けないと・・みたいな危機意識なども薄いほうだと思います。
なので、普段から比較的おだやかに落ち着きつつ、リラックスしながら生きられているほうだと思うのですが。
だからこそ逆に、暴力的なエネルギーや怒りのエネルギーなどを敏感に察知してしまうほうなのだと思います。
おそらく、自分自身が暴力や怒りのエネルギーまみれだったら、同化してしまって、そこまで違和感を感じられないでしょうからね・・
ちなみに、電車の中で僕の目のまえを何度も通りすぎていった人からは、明らかに暴力の臭いみたいなものを感じました。
怖っ・・と思ったので、すぐに退散しました・・
別に何も起こらなかったのでホッとしましたが、個人的にはそういう勘みたいなものをバカにしないほうがいのではないかと思っています。
追伸
興味深いYouTubeの動画がありました。
とてもしっくりくる話でした。
プロのボディーガードが教える「3つの壁」【警護の極意】
https://youtu.be/jmRCA0j9XxY
自分・私が減ると、他の誰かや何かを迎え入れる余地が心に生まれる?
最近はあまりメルマガを送ってません。
でも実は、今日のメルマガはどんなこと書こうかな・・と一応考えながら、パソコンの前にいって、途中までああだこうだ書いてみたりはしてるのです。
それで途中まで書きかけて、別にこんなこと本気で伝えたいなんて思ってないな・・という本心に気付いて、結局「昨日はおつかれさまでした・・ヒーリングの次の日のメルマガは、なんとなく気が向いた時に送っています」という例の定型文を送るということを繰り返している感じです。
ここ2~3年、僕の中から「何かをしたい、こうなってほしい、こうなりたい」といった気持ちがだんだん減っているのを感じています。
毎週のように、途中まで書いたメルマガを削除しているとおり、今の僕には特別伝えたいことなんてそんなにないですし。
めちゃくちゃやりたいこととか、世の中がこうなってくれたらいいとか、将来の夢みたいなことも特にありません。
昔はあったんですけどね。
最近はそういう希望とか夢みたいなものを考えることはほとんどなくて、もっと素朴な、毎日の生活の中で自分の心と身体の実感、感覚がどう変化していくかということばかり意識している気がしています。
でも面白いなと思うのが、僕の中から自分はこうしたい、自分はこう思う、自分はこうなりたいという「自分・私」みたいな感覚が弱まってくるほど、目に見えないエネルギーに対する感覚は強まっていくのを感じています。
ここ数年の自分の感覚の変化から、なんとなく感じたのは、心の中が自分のことばかりだと、心の中に自分以外の人やエネルギーや情報を入れるスペースが無くなっちゃうんだろうなと思うのです。
私はこうしたい。私はこれはやだ。私はこうなりたい。私、私、私・・
そういう私という感覚が薄まってくればくるほど、心の中に、私以外のものを迎え入れるスペースができるようになる気がします。
僕の場合、昔よりは家族との時間を大切にするようになりましたし、神社とか自然の中で、目に見えない意識のようなもの?エネルギー?みたいなものを強い臨場感で感じるようになっていきました。
よくわかりませんけど、私・自分がちょっぴり減って、そのちょっぴり余ったスペースに家族のこととか、目に見えない何かが入る余裕ができたということなのかもしれません。
あっ、それと、勘違いされてしまうと嫌なので、これは強調しておきたいのですが、僕は、何かを望むこと、何かを嫌だと思うこと、何かになりたいと思うこと、そういう感覚をまったく悪いと思っていません。
スピリチュアルとか宗教的な世界観の中で、エゴってだめじゃね?みたいな価値観がありますけど、そんなのどっちでもいいじゃんと思っています。
だってそんなの、「自分の外」の話じゃないですか。
自分以外の誰かが、ああだこうだ言ってるだけですからね。
「※自灯明(じとうみょう)」という仏教用語がありますけど、大事なのは自分の内側(心)です。
ああ、今この文章を書いていて閃いたのですが、僕はずっと自分の心を深く観察してきて、自分は本当は何がしたいのか、どう生きたいのか、自分にこだわり続けてきました。(これからもそうでしょう)
何年も何年もです。
自分にこだわり続けてきたからこそ、自分を研究し続けてきたからこそ、逆説的に「そろそろ自分のことだけを考え続けるのは飽きたかな・・」という感じで、自然に自分に対する興味が減ってきたということなのかもしれません。
うん。たぶんそうだ。
実際、僕が会ってきた苦しそうな人たちは、大抵、自分以外の誰かや社会の価値観を基準にして生きている人たちだった気がしますしね。
ということで、だんだん心の中で、文章を書くことがめんどくさいと感じる気持ちが大きくなってきましたので(笑)
思ってもない嘘くさい文章になる前に、ここらへんで終わりたいと思います。
これからの二人三脚ヒーリングについて
二人三脚ヒーリングは、コロナウィルスが流行したことをきっかけに2020年4月11日から始まりました。
当初は土曜日だけのヒーリングでしたが、数カ月後から水曜日にもノラジカヒーリングを行うようになりました。
今日が2023年4月13日なので、気づけばあっという間に3年が経ちました。
年末年始以外は基本的に休まず(日程をずらしたことはありましたけれど)よくもまあこれだけ続けてこられたものだと思います。
おそらく、世の中のためという想いだけだったとしたら、途中で間違いなく挫折したと思います。
世の中のため。平和のため。
そういう大きな目的を持つことは大切なことだと思います。
でも、目的が大きなほど、それを持つ人の器の大きさが試されるように思います。
意識がどれだけ拡大しているか、どれだけ大きなエネルギーを動かせるか、物事をどれだけ俯瞰的な視点で、長期的な視点で捉えられるかなど。
器の大きさとはそういうこととも密接に関係してるように思いますが、いくら大きな目的を掲げたとしても、自分の器がその目的よりもはるかに小さかったとしたら、おそらくそれを達成することはとても難しく、多くの場合、途中で挫折してしまうのではないかと思います。
僕にも、ほんの少しくらいは世の中のためという気持ちがあったような気がしますが、正直なところこれまで継続できた理由は、なぜか二人三脚ヒーリングに取り組むことが、この先の将来、間違いなく自分のためになるという確信めいたものがあったからです。
もうすこし具体的に言うと、二人三脚ヒーリングを続けた先に、これまでの研究、努力、苦労は「このためにあったんだ」と思えるような何かに出会えるような強烈な予感があったのです。
なので、いつ芽吹くかはわからないけれど、とりあえずやれるところまでやってみようという感じで、どんな形に育つかもわからない未知の種をせっせとまき続けてきた感じです。
そんなこんなで、試行錯誤しつつなんとか3年やってきたわけですが、幸いなことにコロナもだんだん落ち着いてきました。
マスクをしていない人も増えてきましたし、5月から季節性インフルエンザと同じ「5類」になるとのことですしね。
そこで、ホームページでも以下のように予告していたとおり。
~引用ここから~
このヒーリングは、コロナウィルス関連の不安やストレスで消耗している方々を支援するために生まれたものですので、コロナウィルスの問題がある程度収束すれば、回数は減らすつもりです。
~ここまで~
そろそろ、「コロナウイルスのための遠隔ヒーリング」という役割は終わりにして、そろそろ「次の段階」に進む時期が近づいてきたかなと感じています。
次の段階に移行するという意味は、二人三脚ヒーリングの目的が変わるということです。
これまでは主に、コロナのストレスによる心と身体の負担を減らすという目的でしたが、もうこの目的は時代に合わないですからね。
これからなんのために、なにを目的として二人三脚ヒーリングを行うかをじっくり考えていこうと思っています。
ですので、もう二人三脚ヒーリングは終わりですよということではなく、近々、リニューアルといいますか、方向性が変わりますよということです。
とはいえ、現時点で「いつから、どんな形で」など、具体的なことが決まっているわけではないので、しばらくは現状維持で「水曜日と土曜日、週2回の二人三脚ヒーリングは継続していく」つもりです。
僕の中で、次はこういうことがやりたいという明確なイメージが浮かんで、その準備が整ってきた時に、改めてお知らせさせていただきますね。
それと、これから二人三脚ヒーリングの形が変わって、次の段階に進んだとしても「無料で参加できる枠はある程度残しておきます」のでご安心ください。
ただ、これまでと同じペースで、水曜日と土曜日、週2回のヒーリングを受けたい方に対しては、サブスク的な感じで月額いくらいくらという形で有料化することになると思います。
今のところ、具体的な料金設定などはほとんど考えていませんが、そんなに高く設定する気はないので、もし今後の僕の活動を応援したいと思っていただける方がいましたら、ご検討いただけるとうれしいです。
〇まとめ
とりあえず、しばらくはこのまま現状維持で「水曜日と土曜日、週2回の二人三脚ヒーリングは継続していく」つもりです。
変わらず水曜日と土曜日にヒーリングのお知らせメールを送りますので、参加したい方はお気軽にどうぞ。
ただ、コロナも落ち着いてきたので、ホームページで予告していたように、そろそろ無料で参加できる回数は減らし、これまでと同じ頻度(週に2回)で参加したい場合は有料化(価格は未定)となる予定です。
有料化のタイミングは、まだいつになるかわかりません。
じっくり考えつつ、これからはこんな風に活動していきたいというイメージが固まり、いろいろな準備が整った後、しかるべきタイミングでメルマガを通じてお知らせします。(ほんとにいつになるかわかりません・・じっくり考えたいと思っているので)
ということで、ちょっとややこしく感じさせてしまったかもしれませんが、しばらくはこれまでどおり二人三脚ヒーリングを継続していきますのでよろしくお願いします。
社会と仮面と自然体の自分
こどもから大人になるにつれて、人は少しずつ、社会に適応するための仮面をかぶって生きるようになります。
社会は人間が作ったもの=人工的なものです。
人工的なものとは自然とは真逆のものですから、社会的な仮面が分厚くなればなるほど、本来の自然体の自分のことを忘れていく傾向があります。
つまり、自然な自分と社会的な仮面を被った人工的な自分とが大きく乖離していくことで、どんどん不自然な感じになってしまうということです。
社会の中で生きていると、まったく反省もしていないのに、謝らなくてはいけないことや、まったく嬉しくもないのにお礼を言わなくてはいけないことが山ほどあります。
でもそれは仕方がないことです。
社会とは生産性を高める場所であり、生産性を高めるためには秩序やルールが必要だからです。
例え、あの上司マジでムカつくと思っていても、その人の目の前で「おまえムカつくからさ。とりあえず明日から仕事くんな」とか言ってしまうと、場の空気が凍り付き、仕事の生産性が下がってしまいます。
「仕事だりーから、switchでもやるか」と、思いのままゲームを始めてしまうと、これまたいろんな意味で仕事の生産性が下がります。
生産性が下がる=お金を稼げない=給料が下がる=生活に困る・・
ということになりかねないわけですから、生活のためにも、人並みの幸せのためにも、子どもの頃から僕たちは、生産性を下げないように教育されてきたように思います。
その結果、自然体の自分の気持ちを抑えることで獲得したものが、社会に最適化するための仮面の自分や、空気を読むという力なのかもしれません。
そういう生き方は生存戦略上、まったく間違ってなかったと思います。
たしかに、お金を稼ぎ、生活を成り立たせていくためにも、余計なトラブルを避けるためにも大切なことだと思います。
でも最近はちょっといろんな条件が変わってきてしまった気がします。
これからもずっと、なるべく生産性を下げないようにすることが、お金を稼いだり、生活を良くしたりすることにつながっていくのか、ちょっと疑問です。
仮面を被ったり、空気を読んだりすれば、たしかにある程度は、場の雰囲気を悪くしないことはできるでしょうし、それは生産性を下げないことにつながるかもしれません。
でも、それでできることって、生産性を下げないことであって、たぶん生産性を高めるほどのインパクトは無いのではないでしょうか。
そんな中、昨今ではとんでもない人工知能の技術なんかが出てきており、そういう技術はまさに生産性の鬼なわけです。
人間が生産性を下げないように努力をしたところで、生産性を高めることに特化したAIに勝てるわけがありません・・
これまで人類は、基本的に生産性を高め、生活をより良くしようと一生懸命頑張ってきました。
そしてその結果たどり着いた一つの結論がAIと言えるのでしょう。
すごいことだと思います。
そしてたぶん、これからあらゆる分野の生産性を高めるための仕事は、人間から人工知能にバトンタッチされることになるのでしょう。
それを悲観する見方もありますし、今後、数十年、いろんな混乱は起こるとは思います。
でも考えようによっては、ある意味、人類が生産性を高めなくてはいけないという「呪縛」から解放され、もっと自然に生きられるようになる時代になってきたという見方もできるかもしれません。
なぜなら、社会的な仮面を被り、本音を横に置きつつ生きてきた主な理由は、おそらく生産性を下げないため(お金や生活のため)だったからです。
個人的に言えることは、生産性を気にしない生き方はとてもラクだということです。
僕はもともと、大学を卒業した時点で、自分の性格的に社会にうまく適応することは難しいとあきらめていたので、まったく就職活動もせず、フラフラしながら好奇心を頼りに今の仕事に巡り合ったような人間です。
なのでたぶん、一般的な価値観よりは、生産性を高めてお金を沢山稼いだり、生活を良くしたいという想いはかなり少ないほうだと思います。
とはいえ僕だって、それなりにそういう社会的なステータスに憧れたりしてた時期もありましたが、もうここ4~5年くらいで、そういうことはあきらめたほうがラクに生きられることに改めて気付きました。(あきらめようと努力したわけではなく、自然とどうでもよくなってきました)
今は、収入が減ったり、メルマガやヒーリングの反応が全然無かったしても、あんまり気にもせず淡々と継続できています。
それはたぶん僕が、社会的に重要とされているお金とかいろんなステータスよりも(それもすごく素敵ですけど)、どちらかというと、自分自身がやってて楽しいかとか、よくわからないけど、なんとなく大切な気がすると思えているかということのほうが重要なのだと、本気で思えるようになった証拠なのかなと思います。
さて。
そんなことをいろいろと考えていく中で、最近は、生産性重視で生きてきた僕らが、これからどうやって生きていけば、比較的幸せでいられるかということを妄想したりしています。
明らかなのは、これまでのように、お金、学歴、いい暮らしを求め、ガンガン生産性を高めようとする生き方はどんどん難しくなっていく(生産性の鬼AIがいますし)ということで、たぶんそれを求める限り、かなり苦しい感じになっちゃう気がします・・
ですので、そういうのはほどほどにしておいて、これからは、社会的な仮面によって無理矢理封じ込めてきた「自然体の自分」を上手に解放するための技術や考え方を知っておくことが大切になってくるんじゃないかなと思っています。
とはいえ、社会的な仮面をはぎ取って、全部本音で自然に生きましょうみたいなアホなことを言いたいわけではありません。
社会の中で生産性を下げないように振舞うことは優しさでもあるわけですから、せっかく身に着けた処世術を手放す必要はありません。
大切なのは、これまでのようにちゃんと社会的な仮面を被りつつも、「これは本当の自分じゃなくて、世の中のためにあくまでも擬態してるだけですよ」ということを自覚できていることです。
そして、一人でいる時とか、家族(家族と仲が良ければ)や信頼できる友達と一緒にいる時は、可能な限り社会的な仮面を外し、自然体の自分でいられるようにするのが理想です。
しかし、これがとてもとても難しいのです・・
自然の世界に台風や地震があるように、自然体の心にも、荒々しさや破壊的な部分が眠っており、ある意味、社会的な仮面のおかげで、そういう自然の自分を抑えられていた(見てみないふりができた)とも言えるからです。
つまり、自然体の自分を取り戻すためには、かなりネガティブな自分を直視する必要があるということです。
しかし、自然体の心の中のネガティブな部分をちゃんと直視しつつ、これも自分なんだから仕方ないか・・とあきらめて(仏教的に諦める=明らかにするという意味)清濁併せ?むことができるようになると、より自然体で生きられるようになります。
そうなると、自然治癒力という言葉がありますが、自然のエネルギーのようなものが湧き出てくるようになる傾向があります。
それはとても素敵な体験なのです。
最近は、直接菊地屋にお越しになったクライアントさんに、今回書いたような、自然体の自分を上手に解放するための技術や考え方をお伝えしています。
今後は少しずつ、メルマガやホームページでも、そういうことを書いていきたいと思っています。
でも、気が向かないと書けないので気が向けばの話ですが・・
言い訳をさせてもらうと、気が向かない時は無理に書かないというスタンスも、自然体の自分を大切にしたいからです。
生産性を重視する社会的には、毎回書いたほうがいいのかもしれませんけど、僕はそれを選びません。
だって疲れちゃいますし、そんなの全然楽しくないですからね。
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