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寂しい人ほど、「自分が幸せなら、他人はどうでもいい・・」という発想になりやすい

「寂しい」という感情を感じたことは誰にでもあるはずですが、この感情はなかなか厄介でして・・

 

あまりにも寂しさが強くなり過ぎると、その寂しさを紛らわすために、人間はどんどん自己中心的で傲慢な行動を取ってしまう傾向があるようなのです・・

 

この記事では、誰の心の中にもある「寂しい」という感情について考えていきたいと思います。

 

後半で、寂しさを減らす方法の解説もしてますので、寂しさを感じやすい人にもお役に立てれば幸いです。

寂しい人ほど、「自分が幸せなら、他人はどうでもいい・・」という発想になりやすい

【実体験】空気を読まないお爺さんと3人の女子大生

 

だいぶ前の話ですが、ある日、カフェでコーヒーを飲んでいた時にこんなことがありました。

 

近くの席で、大学生くらいの女性3人が世間話をしていたのですが、その隣の席に、おそらく「80歳くらいのお爺さん」が一人で座っていました。

 

たまたま視界に入る場所だったので、何気なく見ていたのですが、突然、そのお爺さんが、3人組の女性たちに話しかけたんです。

 

僕はイヤホンで音楽を聴きながら、スマホを触っていたので、どんな話をしているのかは分かりませんでしたが、雰囲気からして、女性たちが完全に「引いている」のは明らかでした。

 

人生の先輩として、(頼まれてもいないのに)アドバイスをしたのかもしれませんが、お爺さんは、全く空気を読まず、楽しそうにニコニコしながら、延々と話し続けていました。

 

女性たちは、なんとか引きつった笑顔をキープしながら、その状況に耐えていましたが、5分くらいすると席を立ち帰っていきました。

 

去っていく女性たちに対して、今度は、お爺さんのほうが、引きつった笑顔を浮かべながら、「じゃあ、また」という感じで、手を振っていました。

 

女性たちが完全に立ち去った後、お爺さんは、引きつった笑顔を戻し、なんとも「悲しそうな顔」をしました。

 

あるべきはずの表情

 

これは僕が席についてから、10分も経たない間の出来事でしたが、せっかくゆっくりコーヒーを飲もうと思っていた私としては、水を差されたような気がして、若干苛立ちを覚えました。

 

漠然とした印象だけでこの出来事を捉えると「なんとなくお爺さんがかわいそう・・」だとか、「最近の若いものは、年長者を敬うこともせずに冷たいもんだ・・」という風に感じる人もいると思いますが、実は、僕が苛立ちを感じたのは、お爺さんの行動に対してなんです。

 

とはいえ、さすがに空気が読めないお爺さんを見ただけで苛立ちを感じたわけではありません。
(こう見えて、お年寄りには、わりと親切なほうだと思っています。お婆ちゃん子ですし)

 

僕が苛立ちを感じたのは、お爺さんの表情に、浮かぶはずの感情、いや、浮かばなくてはいけない感情が浮かんでいなかったからです。

 

女性たちが完全に立ち去った後、お爺さんは引きつった笑顔を戻し、なんとも「悲しそうな顔」をしていました。

 

しかし、その表情には、あるべきはずの「恥ずかしいという感情」が少しも浮かんでいなかったんです。

 

「恥ずかしい」という気持ちが自分を変える原動力になる

 

大抵の人は、思いもよらぬ失敗をしてしまった後、まず恥ずかしさを感じます。

 

例えば、顔が赤くなったり、その場からすぐに立ち去ろうとしたり、回りの視線をキョロキョロと気にしたりといった行動として現れることもありますし。

 

恥ずかしさを通り過ぎると、自分に恥をかかせた相手に対する怒りが現れることさえあります。

 

まあ、これは完全に「逆ギレ」というやつですが、「恥ずかしい」という感情が無いよりはるかにマシです。

 

なぜなら、恥ずかしいという気持ちがあるからこそ、「こんな気持ちになるのは嫌だから、二度とこんなことは繰り返さないようにしよう!」という反省が生まれ、その気持ちが自分を変える原動力になっていくわけですからね。

 

しかし、このお爺さんの表情、行動にはそういった「反省」は皆無でした。

 

ほとんど反応が無かったとさえ言えます。

 

そういった反応を見て、僕は「この人は常習犯だな」と感じました。

 

おそらく、ちょっと親切そうな人を見つけては、話しかけ、逃げられるということに慣れてしまっているからこそ、恥ずかしさに対してさえ鈍感になってしまったのではないかと思ったんです。

 

人は鈍感になることで、自分の心が傷つかないように守っている

 

満員電車に慣れるのと一緒で、人間は自分の心を守るために、心を傷つけないようにするために、あえて鈍感になろうとする傾向があります。

 

そういう意味では、鈍感になることは、ある種の生存戦略とも言えるかもしれません。

 

とはいえ、お爺さんは、明らかに迷惑そうにしている女性たちの反応を無視しながら、数分間も無自覚に会話を押し進めたわけですからね・・

 

いくら悪気が無かったとはいえ、この鈍感さは度が過ぎる気がします・・

 

鈍感さも軽いものであれば、愛嬌として受け入れられることもありますが、あまりに度が過ぎると、人を苛立たせ、悲しませる原因になります・・

 

鈍感さが育まれる土壌には、大抵の場合、「歪んだ自己愛」の存在があります。

 

自分だけが幸福になればいい・・

 

自分が幸せなら、他人はどうでもいい・・

 

一言でいえば、そんな感情の源泉が自己愛です。

 

勝手な僕の妄想かもしれませんが、お爺さんの悲しそうな表情の裏側に、そういった自己愛が潜んでいるように感じてしまいました・・

 

自己愛と寂しさという感情の関係

 

たぶんお爺さんは寂しかったのだろうと思います。

 

寂しかったからこそ、楽しそうに話している会話の中に入りたかったんでしょうし、特に悪気は無かったのだと思います。

 

実は、寂しさという感情は、自己愛と密接な関係があるんです。

 

人間は寂しくなると、心の穴を埋めるために、ものすごく自己中心的になります。

 

つまり、寂しい人ほど、自分が幸せなら、他人はどうでもいい・・という発想に陥る可能性が高くなるということです。

 

この時の出来事を通して、改めて、「寂しさという感情の怖さ」を実感しました。

 

寂しさが極まると、私たちの行動はどんどん自己中心的になっていき、さらに人が離れていくという悪循環が起こります。

 

そのループにはまると、なかなか抜け出すことは難しいかもしれません・・

 

後から、お爺さんもそういう状態だったのかなと想像すると、なんだか切なくなってきます・・

 

どうすれば、寂しさを減らすことができるのか

 

寂しい人ほど自己中心的で、相手の迷惑を考えず、人に頼ろうとする傾向があるものですが、それはつまり、寂しさという感情が強い人=他者に対して「依存心や甘え」が強いということでもあります。

 

自分が寂しいからといって、その気持ちを紛らわすために「誰かを利用しようとする」行為は、明らかに依存的ですし、甘えでしかありませんからね・・

 

では、どうすれば、寂しさを減らすことができるのでしょうか。

 

まず、一番重要なのは、そもそも、自分の寂しさを「他人に埋めてもらおう」という発想自体が間違いだということ、そして、自分の心を変えられるのは、自分だけだということを理解することだと思います。

 

寂しさという感情は、実は他人に対する依存心や甘えが減れば、それに比例して減っていくものなんです。

 

では、依存心や甘えはどうすれば減らすことができるのかというと、おすすめなのは、あらゆる行動を起こす前に「いったん立ち止まって、自分に問いかけることを習慣化する」という方法です。

 

詳しくは、以下の関連記事で解説してますので是非チャレンジしてみてください。

 

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