突然ですが、あなたは自分の友人が(一般的に考えて)辛い状況、例えば、死別、失恋、離婚、リストラ、さまざまな挫折に直面していることを知った時、どんな風に接してあげようと思いますか?
こういう場面で、積極的に「どうにかしてあげなくては!」「助けてあげるべきだ!」と思う人も少なくないかもしれません。
世間的には、人を助けることは「良いこと」とされているので、多くの人がこのような行為を疑いなく称賛するのではないかと思うのですが、本当にそうでしょうか?
僕は人をサポートする仕事(プロフィール)をしているのですが、人を助けてあげることって、とても難しいことだと思うんですよ・・
むしろ、相手の気持ちや状況に対して想像力を働かせられない人の善意は、時に逆効果になってしまうケースも多いように思うのです。
積極的に人を助けようとする人の多くは、「人助け=良いこと」と、疑いなく思っているかもしれませんが、誰かを助けてあげることって、そんなに甘いものじゃない気がするんですよね・・
さて、前置きが長くなりましたが、この記事では「誰かを助けてあげたい」という心理について掘り下げていきたいと思います。
目次
「助けてあげたい」という気持ちの裏に隠れている(かもしれない)歪んだ正義
人助けは絶対的に良いことなのか?
「人助けをしよう」とする気持ちは間違いなく素晴らしいものだと思うのですが、勢いだけで行動してしまうのはちょっとどうなんだろう・・と思います。
「人助け=絶対的に良いこと」だと極端に思い込まずに、せっかくなら「この行動は本当に相手のためになるのか?」とよく考えてみてほしいのです。
人助けしたつもりが、全然相手のためになってなかったり、むしろ余計なお世話だと思われてしまったら、お互いに残念ですしね・・
ですから、勢いで行動するんじゃなくて、ちゃんと相手の気持ちと状況を想像してあげてほしいのですね。
人助けする前にいったん立ち止まってみることの大切さ
参考までに、仮に僕が友達を助けたいと思ったとして、その時にどんな可能性を考えるのか、例を挙げてみます。
冒頭で、あえて「(一般的に考えて)辛い状況」と書いたのですが、それは死別、失恋、離婚、リストラ、さまざまな挫折・・といった状況にあっても、人によって辛さ、悲しさに個人差があるからです。
つまり、人によっては助けなど必要としていない場合も(むしろ余計なお世話になってしまう可能性も・・)十分にありえるので、僕なら「一般的には助けが必要な状況だけど、彼はどっちのタイプだろう?」と考えると思います。
相当のショックを受けている場合、どんなに親しい関係であっても「しばらく人と会いたくない」「誰ども話したくない」という状況もありえますので、その辺りも考慮します。
そもそも「果たして僕が本当に役に立てるのか?」という、根本的なところを考えると思います。
相手が本当に苦しんでいる状況にあるのなら、心身ともに相当不安定になっているはずですが、そういう相手を助けるって「かなり難しいこと」ですからね。
僕はプロのセラピストなので、むしろ冷静に、自分ができることとできないことを考慮して、「今の状況だと自分にできることは少ないから、もう少し様子をみてから連絡しよう」などと考えるかもしれません。
ドラマやマンガのストーリーでは、友達や家族の支えで、落ち込んでいた人が立ち直ったりしますが、現実的には、本当に絶望している人に立ち直ってもらうことはプロのセラピストでさえも簡単なことではないのです・・
こんな感じでよくよく考えてみると、人を助けることって、そう簡単にできるものではないということがわかってくるのではじゃないでしょうか。
なぜ、歪んだ正義を振りかざす人がいるのか
しかし、人助けは正義だと信じて疑わない人達の多くは、ここまで真剣に物事を考えることもなく、ある意味では暴力的に「自分の正しさを押しつけてしまう」ようなところがあります。(ちなみに僕は、そういうのを「歪んだ正義」と呼んでます。)
あえて厳しいことを書きますが、歪んだ正義を勢いで行ってしまう人達は、病気で悩んでいる人に対し、平気で「大丈夫、治るはずだよ」なんて無責任な言葉をかけ(自分は病気になった経験もないのに)、頼まれもしないのに、失恋したばかりで傷ついている相手から話を聞き出し、どこかで聞いたようなマニュアルどおりのアドバイスをしたりします・・
しかも、タチが悪いことに、本人たちは「良いことをした」と思ってたりする・・
中にはそれで救われる人もいると思いますので、全否定する気はありませんが、世の中には一定数、ズカズカと心の中に入って来られるのを嫌い、放っておいてもらいたいと願う人間もいることは知っておいていただきたいと思います。
ですので、決して「人助けは全て良いこと」みたいに思い込むのではなくて、ちゃんと相手の個性や状況を想像しつつ、「余計なお世話にならないか」とか「自分に相談に乗る力量があるのかどうか」とか、さまざまな可能性を考慮した上で、慎重に「自分にできること」を探してみる。
そういうことが、本当の意味で相手を思いやることになるのではないでしょうか。
想像力が欠けた善意の押し付けは、相手を困らせてしまうことがある
ということで、「人助け」についていろいろな角度からお伝えしてきました。
あえて厳しい感じのことを書きましたが、くれぐれも「人助けをしないほうがいい」と言っているわけではありませんので、その辺りは誤解のないようにお願いします。
僕がお伝えしたかったのは、「人助けの精神はとても素晴らしいけど、せっかくなら、もっと慎重に相手の状況を想像した上で行動したほうがいいのでは?」ということです。
相手の気持ちを想像するということ自体が、既に「相手を尊重するという人助け」みたいなものですしね。
その逆に、一方的な善意の押し付けは、ある意味「暴力」になりうる可能性があります。
善意でやってもらったことって、どんなにそれが的外れであっても、苦笑いしながら受け入れるしかないですからね・・
「こんなこと頼んでない!」なんて言ったら、「あなたのためを思ってやったのに!」と大抵の人は怒りだすでしょうから・・
以前、被災地に「千羽鶴」が送られてきて困った・・という人の話を聞きました。
千羽鶴を送った人たちは100パーセント善意でやったことだと思います。
それ自体は素晴らしいことです。しかし、食べ物や飲み物や日用品が不足していて、混乱している被災地では、残念ながら千羽鶴は全く不必要なものなのです・・
しかも、善意で送ってもらったものであることはみんなわかっているからこそ、雑には扱えません。
現地の人たちが処理に困るわけです。(ただでさえ大変な状況なのに、さらにストレスを与えてしまってるわけです・・)
これは、典型的な善意の押し付けでしかありません・・
間違いなく善意を持つことは素晴らしいことです。
しかし、想像力が欠けた善意はこのように、相手を困らせてしまうことがあるということは知っておいたほうがいいと思います。
まとめ
困っている人を助けてあげたいと思った時は、勢いで行動するのではなく、相手の個性や状況を想像しつつ、「余計なお世話にならないか」とか「自分に相談に乗る力量があるのかどうか」とか、さまざまな可能性を考慮した上で、慎重に「自分にできること」を探してみることをおすすめします。
このように相手の気持ちを想像するということ自体が、既に「相手を尊重するという人助け」みたいなものですしね。
個人的には、状況を理解した上で、「何も聞かず放っておいてくれる人」に優しさと、自分の能力を過信しない謙虚さを感じます。
大概の場合、人格者とは詮索やおせっかいをしない人ですしね・・
優しい想像力を持ちたいものですね。
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